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阪神タイガースの球団発行誌『月刊タイガース』は毎月1日発売。
V奪回、そして日本一を目指す阪神タイガース情報が満載。

月刊タイガース(今月号)月刊タイガース編集日誌4月12日、こんなこともありました・・・[08.04.28]
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このコーナーは取材、編集の裏話やよもやま話を随時アップしていきます。

4月12日、こんなこともありました・・・

 
 

 金本知憲選手の2000本安打という偉業が達成された4月12日の横浜スタジアム。土曜日のデーゲームということもあって、スタンドは阪神ファンが6割、横浜ファンが4割といった具合。その3万人近い観客が、大記録の証人となりました。当然、この日の晩のスポーツニュースや翌日のスポーツ紙は、この話題一色に。

 5月号、金本選手へのインタビューでも少し触れていますが、この4月12日の試合は、今年1月21日に亡くなられた加藤博一さんの追悼試合でもありました。試合前には両軍がベンチ前に整列しての追悼セレモニー。2000本安打のインパクトが強すぎて、特に関西方面ではあまり大きく報じられることがありませんでしたが、心に残るセレモニーだったので、少し紹介したいと思います。

 阪神タイガースが日本一になった1985年。前年リーグ最下位に終わっていた大洋ホエールズは、近藤貞雄新監督の下、一番・高木豊選手(遊撃)、二番・加藤博一選手(左翼)、三番・屋鋪要選手(中堅)という、機動力を重視した打線を定着させます。この年、合わせて148盗塁(42+48+58)という数字を残したこの3選手は「スーパーカートリオ」と名付けられ、当時下位を低迷していた大洋の中にあって、カッコよく光り輝く存在でした。
 加藤さんはもちろん、阪神タイガースのOBでもあります。1970年にテスト生として入団した西鉄ライオンズから、トレードで1976年に阪神に入団。プロ初ホームランは、1979年7月28日の巨人戦。この試合が甲子園初登板となった江川卓投手から打ったものでした。7年在籍したタイガースでのホームラン数は10本ながら、そのうち3本を江川投手から記録。その明るいキャラクターも相まって、加藤選手はタイガースファンのハートをガッチリとつかみました。もちろん当時の月刊タイガースの表紙も飾っています。
 
 この日のセレモニーでは、阪神時代の「32番」、大洋時代の「44番」のユニホームを掲げるご家族と、高木氏、屋鋪氏がマウンド上に整列。両チームでの活躍がつづられた懐かしいVTRがビジョンで紹介されました。その後、それぞれのヒッティングマーチがレフトスタンドの阪神応援団、続いてライトの横浜応援団から捧げられ、最後は球場全体からの「ヒロカズコール」に。スタンドには涙ながらに絶叫するファンも見受けられ、たくさんのファンに愛された加藤さんの人柄が感じられました。
 そして全員による黙祷。球場全体に響き渡る惜別のサイレンの音が途切れると、スタンドの人いきれは一転して静寂に包まれました。

 感動のうちにセレモニーは終了し、横浜−阪神5回戦がプレーボール。一回裏、横浜の先頭打者・石井琢朗選手の打席では、ライトスタンドから、蒲田行進曲が流れます。石井選手が自ら一打席だけ応援団にお願いしたという、加藤さんの応援歌。石井選手はその応援に応え、センター前ヒットを加藤さんに捧げました。

 以前、加藤さんが阪神タイガースのOBとして、泊りがけで少年野球教室のため地方へ赴いた帰り。高速道路のサービスエリアで、「みんなで食べてみようよ」と、ご一緒させていただいたスタッフに「塩味ソフト」なるものをごちそうしていただいたことが、個人的には強く印象に残っています。とても気さくな上に、細やかな気配りができる方でした。今回、はからずも金本選手の2000本安打のおかげで、このセレモニーに立ち会うことができました。


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