海外キャンプに行った年、5つの勝ち星に恵まれた。いまだにはっきりと記憶に残っている1勝がある。この年のオフに結婚式を挙げた現在の妻が観戦に来場した川崎球場での大洋(現横浜)戦。1対0で完封勝ちした。いい格好できた安堵感と目の前で雄姿を見せられた満足感。気分は爽快だったが、さらに鮮明に頭の中にインプットされている1球がある。
1964年5月3日の出来事。カウント1-2からの4球目。ストレートはやや外よりの甘い球。巨人・王選手(現ソフトバンク監督)の強振したバットがとらえた打球は、ライナーで後楽園球場の右中間スタンドへ突き刺さった。突き刺さったという表現がピッタリの打球。そう、王選手が1試合4打席連続ホーマーの日本記録達成した瞬間である。その時、マウンドでア然として打球を見送っていたのは筆者、そう、本間勝だった。『クソーッ』一瞬怒りがこみあげたが、あまりの見事な一発には脱帽するしかなかった。あの打席のワンちゃん、集中力は物凄かった。
宿舎へ帰ってからは、あの一発を思い出しても悔いはなかった。中には『そんな無理して勝負する事なかったのに・・・』とか『歩かせてもよかったんやで・・・』などの意見をくれた人はいたが、自分自身で出した結論は『四球で歩かせていたら、逆に自分に物凄く悔いが残っていただろう。なんぼホームランバッターの王選手とはいえ、滅多にないチャンス。逃げなくてよかった』だった。実力的に下降気味の私。上昇気流に乗り、飛ぶ鳥を落とす勢いの王選手との差。そう、実力の差が出た一発だったが、歩かせていたら、おそらく未だに悔やんでいるだろう。
あの時、マウンドへ上がる前、ベンチでへらず口をたたいていた。『もう3本も(ホームランが)出てるんやから、打ち止めやろ』である。過去、1本もホームランを打たれていない自信が言わせていた言葉だろうが、結果はご覧のとおりだった。対王選手。何十打席と対戦しているが打たれたホームランはこの1本だけ。打率も1割台。見え見えの言い訳でゴメン。選手生活10年、私が唯一球界に残した記録?だ。
その頃、タイガースに球界を揺るがす大きな動きがあった。1963年。「世紀のトレード」と言わせたエースと四番バッターの交換。阪神から小山、大毎(現千葉ロッテ)から山内。互いにチームがプラスになる『これがトレード』の評価を得た素晴らしいもので、決してお家騒動ではなく、チーム内は安定期にあった。日本のプロ野球の注目度は高くなった。娯楽として大いに楽しめる世の中になったが、この年、アメリカではケネディ大統領が凶弾に倒れた。翌年にはベトナム戦争の遂行権限を米大統領に付与するトンキン湾事件が・・・。近年同様ドロドロしたニュースが紙面をにぎわせていたが、そんな中、本間勝は住みなれた関西から、博多へ旅立った。