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第七回 「選手から新聞記者へ 決め手はやっぱり『野球』」 [07.03月号掲載]

  1966年、タイガースはこの年から指揮を執った杉下監督が、一シーズン持たずして交代した。相変らずのチームカラーは気にはなったが、私自身、それどころではない。西鉄二年目、球界を去る決意はしたものの、妻子を養う義務がある。将来の生活をかけた岐路に立っていた。複雑な心境だ。どうしても野球に対する集中力が希薄になりがち。苦しい立場に・・・。
 『立つ鳥、跡を濁さず』。世話になっているチームに迷惑はかけられない。自分勝手な行動は和を乱す。目に見えた手抜きはムードを壊す。練習の邪魔になってはいけない。若手の育成に悪影響を及ぼす行為はもってのほか。フォーム改造後は二軍暮らし。野球を志して初めてアンダーハンドでゲーム(ウエスタン・リーグ)に登板した。簡単に自分のものになるはずがない。気持ちが乗らないからなおさらだ。わかってはいても、思うようにならない自分がもどかしい。我慢できずにゲームの途中で勝手に元のフォームで投げた事があった。苛立つ精神状態がそのまま出た行動に「それでいいのか」自問自答した。精神面の葛藤。気持ちの乱れからくる迷い。自分自身を見失った時期もあった。不安な日々は続いたが、ついにユニホームを脱ぐ時がやってきた。
 9月の半ば過ぎだった。マネジャーから「球場の監督室まで」の連絡があった。中西監督からの呼び出しだ。「ついに来たか・・・」中身はわかっている。気持ちの整理もついていたが、監督が直接いち選手に解雇通知をするはずがない。何故監督が・・・。疑問を感じなくはなかった。挨拶をかわした後、思いもよらぬ話の内容にビックリした。「どうや、まだ野球を続ける気はあるんか」笑顔でこう切り出された。一瞬、質問の意味がわからず返事をためらったが「いや、もうユニホームを脱ぐつもりです」ありのままを答えると「そうか。それなら西日本新聞はどうや。大阪支社で一人ほしい言うとるし、ちょうどいいやろ。他に決めている仕事があるなら、無理にとは言わんが、いい話や思ってなあ」耳を疑った。正直ビックリした。私ごときにこんな気持ちで接していてくれたかと思うと、感謝の念で胸がいっぱいになった。「ありがとうございます。少し考えさせていただいてもよろしいでしょうか」には「おう。人生これからの方が長いんや。よう考えや」思いやりのある言葉は、いまなお、はっきり覚えている。
 早い時期に腹をくくっていた。当然、別ルートでも就職活動はしていた。和歌山は白浜温泉。新設されたゴルフ場勤務。「キャディーマスターをしながら、ゴルファーを目指したら」妻の実家からの心強い援護があった。これまで体を使った仕事しかしていない。そういう意味で気持ちの上では半分以上、ゴルフ場勤務に傾いていた。ただ、田舎に引きこもってしまうのがネック。贅沢を言っている場合ではないが、いろいろ考えた結果、プロ野球を経験した人を含め、数名に意見を聞いてみた。
 返事の大半が「野球から完全に縁を切ってしまうと寂しいぞ」だった。自分なりに考えていた「きっぱりと足を洗った方が後腐れがなくていい」の思いとは全く逆の意見が多いのに驚いた。意外だった。初めは戸惑いもあった。半信半疑の思いでいたが、己をじっくり見直しているうちにおのずと答えが見えてきた。そう、自分には野球しかない。どんな形にしろ、身のまわりに野球があることで精神的に落ち着ける。なんとなく安心感がある。経験者のみぞ知ることだろうが、我々、やはり野球大好き人間なのだ。定年退職した今、多くの人に感謝している。
 私が引退する頃、プロ野球界はひとつの転換期を迎えていた。新人選手の補強である。自由競争の時代からドラフト制度へ。戦力の平均化と契約金高騰の抑制が狙いだったが、選手に球団を選ぶ自由がないことから、国会で話題になった。1967年の衆議院法務委員会。当時の社会党(現社民党)松前重義代議士から「プロ野球のドラフト制度は選手の自由を束縛し、かつ人身売買の疑いもあり、不当な制度ではないか」のクレームがついた。法務省が即刻調査を確約するひと幕があったが、後日、堀内法務省人権擁護局長が発表した「選手が指名された球団と契約するかどうかは自由であって、身体の自由を拘束するわけではない。人身売買とは認められない」で決着がついた。方法こそ変わるも、いまや球界の年中行事のひとつとなって継続されている。
 選手生活10年。決断していたとはいえ、いざ球界との別れに直面するとやはり寂しい。まだシーズン中だったが、監督との面談後、球団の許可を得て帰宅。第二の人生に備えた。大いに迷った。二週間後だった。西日本新聞大阪支社から迎えがきた。新聞記者−。はっきり言って自信はないが、多くの人からいただいた有難い意見を重視した。野球に携わることができる仕事。中西監督が勧めてくれた道を選択した。プロ野球界の時代は流れている。取材される立場からする立場へ。私も180度変身した。待ち受けていたのは『試練』だった。

                      西日本新聞社での記者時代
 

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