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第八回 「新米記者、痛恨の大スクープ逸機」 [07.04月号掲載]

  ユニホームを着てからの10年。自分のサイン以外はほとんど字を書く機会がなかった。漢字を忘れている。わからない。当用漢字(現・常用漢字)から消えていた字があった。頭の中はパニック状態。西日本新聞社の用字用語集と首ったけ。それだけではない。野球を取材して原稿を書く時。紙面で取り上げる場面の状況は完璧に理解していても、活字で表現できない。確かに勉強は嫌いだった。手抜きだらけの学生生活だった。そのツケがまともにきた。何と情けない。妻曰く「見るに忍びなかった」ほど落ち込んでいた。何事もそうだ。その道の厳しさを痛感した。
 それでも日が経つにつれ要領をつかんできた。人物を取り上げるヒーロー物。試合の経過を綴る後書き。スラスラとペンが進むようになった。苦手はニュース原稿。ひとつの形があって厄介だ。いつ、誰が、どこで、何をしたか。基本はよーくわかっている。1968年、9月18日の甲子園球場。対巨人22回戦で起きた乱闘事件で直面してしまった。さあ困った。グラウンドには両チームの選手が入り乱れている。険悪なムードだ。阪神・バッキー投手が王選手(現ソフトバンク監督)に2球続けて投げたビーンボール。当時、王選手の師匠といわれた荒川コーチが黙っていない。殴り合いがはじまった。同投手が右手親指を骨折。同コーチは額から血を流している。おまけにグラウンドへ空き缶などを投げ込んだファン四人が検挙された、あの有名な事件。
 ありのままを書けばいい。今考えてみたら大したことのない出来事だが、その時は記者一年目の新人。自信がない。不安だらけだ。無意識のうちに現実から逃れようとしている自分がいた。取材に同行していた先輩記者からの「原稿はオレが書くから、取材してきてくれ」のひと言で救われた。当時を振り返ってみる。締め切り時間との争い。自分が原稿を受け持っていたら、どうなっていたか。おそらく焦りまくっていたに違いない。他には、オフの出来事でそれまで相性の良かったの阪神・金田監督(故人)とエース江夏(現評論家)が犬猿の仲となった時。逃避行していた同監督をスクープしたこともあったが、新聞記者としての大失態。いまだに忘れることはできない。
 1970年の『黒い霧』事件。プロ野球界の八百長問題である。前の年、西鉄に在籍していた永易将之投手が検挙された。その本人の「他にも関係している選手がいる」と語ったテープがテレビで流れた。当然事態は大きくなる。4月11日には永易を事情聴取。後日、衆議院法務委員会に、井原コミッショナー事務局が参考人として出席している。事件の該当チームは西鉄ライオンズだ。九州全域を地盤とする我が西日本新聞社。地元球団の出来事を放っておくわけにはいかない。
 4月。チーム初の大阪遠征(大阪球場)。滅多に同行しない球団代表が来阪していた。「御無沙汰しています。遠征に同行されるのは珍しいですね」稲尾新監督が誕生した年である。挨拶したあとはチーム状況など野球の話をしていると、突然「どうも、うち(西鉄)に八百長をしている選手がいるみたいで・・・」永易発言はある程度知っていた。本来、新聞記者であれば、その場で代表をつかまえて、八百長問題をいろいろな角度から取材するべきなのに、まだ、新聞記者になり切ってなかったのと、野球では絶対八百長はできない、と思い込んでいたのが重なって大スクープを逸してしまった。
 「いやあ、代表。野球で八百長はできませんよ。例えば、投手がホームプレートの真ん中へ投げるつもりで投げた球が、必ず真ん中へ行くとは限りませんし、仮に真ん中へ行ったとしても、バットのシンでとらえる保障はありません。また、真シンでとらえたとしても打球は野手の正面に飛ぶ場合がありますから」
 自信を持って否定的な話に終始してしまった。「そうだったらいいけどなあ」。代表のいまひとつ、煮え切らない返事でその話題は終わってしまった。新聞記者三年目。とんでもない結果にド肝を抜かれた。10日から2週間後だった。某紙(一般紙)の一面にドカーン。『八百長』のデッカイ見出しが躍っていた。「しまったー」と悔やんだところであとの祭り。この話、いまでこそ、時々話題にするが、あの時点では、大阪球場の一件は情けないやら、恥ずかしいやらでデスクに打ち明けることもできなかった。
 記者失格のレッテルを貼られてもしかたない。いまだに悔やんでいるが、あの一件以来どうにか新聞記者になり切れた。色々な人との出会いがあった。世の中のあり方を勉強させてもらった。丸14年。やっと野球バカから抜け出した。今ある私の基本はここにあるような気がする。そして、時代の流れをもろに感じたのは1969年、7月20日。アポロ11号の月着陸。人間が初めて月を踏んだ時。身近に感じたのが同年オフ。私に年齢の近い阪神・村山(故人)、南海・野村、西鉄・稲尾という3青年監督が誕生したこと。様変わりしていくプロ野球界。各球団にマスコミ対策として、広報担当なる人材が必要になっていた。現役選手と新聞記者を体験していた本間勝。ある日、阪神・小津正次郎社長(故人)から声がかかった。

                            西日本新聞社での記者時代
                      
 

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