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第九回 「新聞記者から球界へ復帰 広報担当の仕事とは」 [07.05月号掲載]

  安藤新監督が誕生した年だった。1982年、フロントマンとしてタイガースへ復帰した。あの年にかかってきた一本の電話がきっかけとなった。その主は、私が阪神の現役時代マネジャーだった奥井成一さん。二言、三言挨拶をかわしているうちに、いつの間にか、受話器の向こうは小津正次郎球団社長(故人)にかわっていた。『どや、タイガースへ来いよ。広報担当が必要なんや』。デッカイ声。実に単刀直入。強引な誘い。さすが、ブルドーザー社長。早くもその片鱗をかいま見たような気がした。
 前向きに考えたい話しだった。当時、自分の立場に疑問を抱いていた。福岡にプロ野球チームは無い。本社勤務では、プロ野球界出身の私、野球の原稿が書けない。持ち味が発揮できない。これでいいのか。いや、いいはずがない。会社には第一希望として大阪支社への転勤を申し出ていた。聞き入れてくれそうな気配はない。そんな矢先の話だった。渡りに舟とまではいかないまでも、その気にさせてくれた。一月十六日付け。株式会社、阪神タイガース。管理部課長、広報担当に就任した。

安藤監督と

小津社長と

  まさか、球界に復帰できるとは思っていなかった。好きな野球に直接触れることができる。幸せな男だ。なんとなく浮き浮きしていたが、広報担当という仕事の中身は、ボンヤリわかる程度。まずは、仕事内容の把握である。生やさしいものではなかった。最初に疑問を感じたのは、どこまで行っても休みがないこと。『そんなバカな―。いったいどうなってんの』と思っているうちに、キャンプイン。次から、次へとインタビューの申し込みがくる。要領がわからない。もうテンテコ舞い。現安芸市営球場みたいに施設が整っておれば、幾分マシだったと思う。当時は我々の居場所すらなかった。今がうらやましい。
 ゲームの無い日でも虎番記者は球場へ、球団事務所へと取材に来る。フロントとマスコミ。あるいは選手とマスコミのパイプ役が我々の主たる仕事。休みが無いというより、休めないのが現状だった。これが広報担当の実態。いずれの場合も、取材の申し込みは監督はじめ、選手ともども一人で一手に引き受けていた。あの頃、投手では超人気者の小林がいる。野手には球界のスター掛布を筆頭に、岡田(現監督)、真弓、藤田平、佐野等がいた。注目度の高いチームだ。マスコミの扱いは大きい。頻度も高い。ありがたいチームだ。我々、忙しくなるのは当然だが、紙面はなかなか厳しい。負けた時の扱いは半端ではない。
 新聞を見るのが怖い時があった。マスコミの人と顔を合わせるのも嫌な時があったが、広報担当として、立場上わりとゆったりできたのはマウイ(ハワイ諸島)キャンプだった。海外である。日本の新聞は無い。テレビもラジオも無い。取材に訪れる記者の数は限られている。練習の中身にかわりはないが、インタビューの申し込みは安芸キャンプの半分以下。『骨休めになるかな』喜んでいたところに落とし穴が・・・。それも仕事以外で。当時、携帯電話はない。球団、マスコミ等との連絡に便利ということで、私の部屋に臨時電話をセットしてもらった。さあ大変だ。
 仕事からちょっと離れて横道にそれます、ご勘弁を。キャンプも中盤にさしかかった頃だった。部屋の臨電に間違い電話がかかってくるようになった。日本語ではない。英語である。外国語は全くダメな私。相手が何を言っているのかさっぱりわからない。ペラ、ペラ、ペラ・・・と普通にしゃべるからなおさらだ。今振り返ってみると笑い話だ。『なかなかおもろいやんか』と笑われるのが関の山だが、その時の本人は大真面目。『ノー、ノー、ノー。阪神タイガース、スプリングキャンプ、オフィステレホン』単語を並べてみる。発音も悪いのだろう。全く通じない。こちらが何を言っているのかわからず、自分から間違い電話に気づいて切ってくれる人はいたが、中には結構しゃべる人がいた。温暖の地でありながら冷や汗がタラタラ流れ落ちるのがわかる。本当、マイッター。大いに悩んだ。なにぶん、四十日間ほど滞在していた。あの時ばかりは部屋の受話器が恐ろしく見えた。

マウイキャンプにて

 私の復帰直前は、新人・岡田(現監督)の起用法で物議を醸していた。監督は、ブレイザー、中西、安藤と目まぐるしくかわっていた。タイガースらしい問題のネタを提供していたが、お陰様で私、この時点でまだ大きな問題には直面していなかった。そんな中で実感したのは、我々の時代とのシステムの違い。外部から見ていた以上の違いがある。当然、目新しいものも―。そう、目新しいといえば、1982年の六月には東北新幹線(大宮―盛岡間、505km)、十一月には上越新幹線(大宮―新潟間、303.6km)の両路線が開通した。そして、翌年の四月には東京ディズニーランドが開園。ロッキード事件等の暗いニュースはあったが、世の中進歩している。球界も進化していた。次回は、我々の現役時代と今を比較してみる。

                            
                      
 

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