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第十ニ回 「広報一年生が巻き込まれた事件」 [07.08月号掲載]
とんでもない事件が起こった。1982年、8月31日。夏休み最終日の出来事。スタンドには子供たちが多数いた。横浜スタジアムで行われた、対大洋(現・横浜)21回戦。七回表、タイガースの攻撃。藤田平(現・評論家)の三塁前に打ち上げた小飛球。いったんフェアグラウンドに落ちてからファウルゾーンへ。相手のサードは石橋。当然、打球に向かって突っ込んできた。グラブに触れたかどうか。三塁・鷲谷塁審の判定は、無常にも『ファウル』。タイガースベンチの目の前で起きたプレー。誰もが集中して見ていた。判定を不服として抗議に出た。安藤監督再三の抗議が受け入れられない。我慢に限界が。ついに島野コーチが鷲谷審判員を突き飛ばした。止めに入った岡田球審に今度は柴田コーチが手を出した。もう収まりが付かない。
私がタイガースへ復帰した年だった。広報担当である。さあ大変。新聞記者をしていたとはいえ、運動部へ籍を置いていただけ。警察回りなどの経験はない。何とか手助けを、と思うが、その手筈は全く分からない。翌日、管轄の加賀町署から呼び出しがあった。両コーチは当然、安藤監督まで同行した。私も一緒に同署へ出向いたが、事情聴取の長いこと。待てど暮らせど、なかなか開放されない。延々4、5時間はかかっただろうか。本人たちはグッタリ疲れ切っていたが、何にもしないで、別室でじっと待機していた自分まで何か悪いことをしたような気分に。
横浜地方検察庁が出した判決は、『傷害罪』で略式起訴。同簡易裁判所は罰金5万円の略式命令。岡田、鷲谷、手沢の三氏審判員に対する暴行事件。地検と裁判所が出した裁定だが、それより、予想外に厳しかったのが、連盟(セ・リーグ)の処分だった。『公式戦の無期限出場停止』と10万円の制裁金。翌9月1日に通達があった。無期限―。この言葉に響き、実に重いし、厳しく感じた。さすが強気で知られる柴田、島野の両コーチもショックの色は隠せなかった。二人の腹心を失った。苦しい戦いを余儀なくされた安藤監督だが、三連戦を終えた移動日には連盟へ謝罪に出向いた。マスコミはどこまでも付いてくる。うっとうしいが仕方ない。特に、こんな時は逃げるわけにはいかない。どこへ行っても話題はこの問題が中心になる。避けては通れない。当時の故・小津正次郎社長はじめ、故・岡崎義人代表、安藤監督。しばらくは、右を向いても、四方八方頭を下げてばかりいる日が続いた。
傷害罪―。スポーツ紙のみならず、一般紙も一面で取り上げた社があった。各紙の論調はこうだ。夏休み最後の日、青少年の目の前で起こした暴力行為が非難の対象となった。青少年に夢を与える立場の人間がねぜ・・・。確かにしてはならない事だ。いかなる場合でも手を出してはならない。自分の蒔いた種とはいえ、あの凄まじいマスコミ攻撃には参った。新聞だけではない。週刊誌の記者が家の前で張り込みをはじめた。一日や二日、一回や二回ではない。何日も、何回も待ち伏せしている。気持ちは滅入ってくる。ある日、島野コーチが当時を思い出してこう言った。「週刊誌の記者がね、学校から帰ってきたうちの息子に、うちの息子だとは知らずに『僕、このマンションに住んでいる、島野のオッチャンって、どんな人や』と―」。マンション住まいで助けられた面はあるが、息子さん、どんな気持ちで聞いたことだろう。子供さんの立場になったとき、その記者の取った行動はいただけない。罪のない子供を使うなんてもってのほかだ。
球団としては、即、三氏審判員の家を探して謝罪に出向いた。両コーチはといえば、滝に打たれた。お寺で座禅を組んだ。反省をした。長ーい、長ーい六カ月間だった。実に長い時間が通り過ぎた。1983年、4月5日。連盟からの出場停止処分が解かれた。やっと解放された。開幕戦、両コーチはユニホーム姿でベンチへ。その間、数々の非難があった。わたくしの立場として、心中穏やかではなかったのは、マスコミの一方的な攻撃だった。トラ番記者をはじめ、身近な報道関係者には反発した。我々の言い分を何度も何度も説明した。気持ちはわかってもらえても、なかなか紙面には出てこない。確かに、世論に反発しないのがマスコミ。実に腹立たしい思いをしたものだ。

(上)当時の月刊タイガース謝罪記事
ユニホームを着た経験者として言いたい。『アンパイヤーも人間だから』暗に間違いを認めるような発言が多い。とんでもない。野球は、一球の判定、ひとつのプレーの判定によって戦況はガラッと変わる。流れに乗れる判定を受けた選手はいい。逆の立場になったらどうなる。最悪の状況を背負った選手のことを考えたことがあるだろうか。特に若い人。頭の中はパニック。精神状態によって持っている力が出せなくなる。最悪の結果を招く。勝負事は『自信』が白黒を大きく左右する。一球の判定ミスによってこの世界を去る選手がいる。あってはならないこと。審判員に言いたい。『ミスは絶対してはならない』存在だという自覚を強ーく、強ーく持ってほしい。あの大洋戦の判定にしてもそうだ。いくら守備のヘタな内野手でも、プロの選手だ。フラフラッと上がった小フライを、グラブに全くかすることなく逃がす選手はいない。我々は、今でも自チームコーチの言い分を信じている。
広報担当一年生。まだわからないことが多い。不安を抱いたままのスタートにもかかわらず、大変な出来事に巻き込まれた。この一年を振り返ってみる。いいことも思い出した。11連勝―。6月18日の対中日9回戦(甲子園球場)から、7月2日の対巨人15回戦(甲子園球場)まで、1分けを挟んでの連勝。内訳は、中日、大洋(現・横浜)に各3勝。ヤクルト、広島に各2勝と巨人に1勝。うち、9勝が地元甲子園。大いに盛り上がった。この間、こんなこともあった。トラ番記者たちと一緒に縁起を担いだ。勝ち続けている間、試合前の練習が終わると、連日同じ喫茶店に通い、茶をしばいた。勝っているときはいい話題が多い。実に楽しい思いをした。アッ、そういえばあのときの『お茶代』自腹だったような。ま、いいか。チームはAクラスの3位。掛布がホームランと打点の二冠王に輝いた。投手では山本和が最優秀救援投手賞を獲得。本間広報、常に仕事に追いかけられた一年だった。
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