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第十三回 「寝耳に水の監督去就問題」 [07.09月号掲載]
三位一体―。小泉前総理が打ち出した構造改革の中で、盛んに世間にアピールしていた四字熟語。連日、テレビ、ラジオ、新聞等では活字が踊り、大声で叫ぶ姿が見られた。三つのものが、心を合わせて一つになることをあらわす言葉で、元来は仏教用語。仏には法身、応身、報身の三位があるものの、元々は一体であるという意味。お互いが協力して問題を解決する。意見を一つにまとめて事を進めていく。物事を決めるのには理想の方針だが、なかなかスムーズにいかないのが世の中。協力態勢にヒビが入るケースはよくある。阪神タイガースしかり。本社―球団―現場が一体とならない限り、強いチームを築くことはできないのに、体質なのだろうか。それとも、これが一般社会の死活をかけた争いなのか。1984年、最終ゲームをきっかけに、見てはいけないものを見てしまった。
「こんな野球やってられるかい」。試合終了後のロッカー。引き揚げてくるなり大声で叫んだ。怒りを露わにした。腹の虫が治まらない。激怒の主は安藤監督である。1984年10月5日。その年の最終戦。辞意まで口にしたのがその『きっかけ』だった。原因は阪神・掛布、中日・宇野が同数で並んでいたホームラン王争い。悪いことに、最後に残った二試合が直接対決。不吉な予感がした。なんと、最悪の四球合戦に発展してしまった。二日前、ナゴヤ球場で行われたゲームで早くも、5打席連続四球。この時点ですでに論議を呼んでいたにもかかわらず、さらに輪をかけた『敬遠合戦』を演じた。ファン無視。憤りを感じた同監督の怒りには訳があった。
最終戦は甲子園球場。腹はくくっていた。掛布がホームラン王を獲れないケースもある。試合前、中日・山内監督に話を持ち出した。「ウチは勝負します。歩かせるのはやめましょう」と―。タイガースで同じユニホームを着てプレーしていた山内大先輩。宇野には、この機会を逃したら、もうチャンスは無いと判断したのだろう。「いや、ウチは歩かせるぜ」。相談に乗ってくれる気配すらなかった。こうなったら掛布を守るしかない。結果、プロ野球記録。お互い10打席連続四球。当時の故・鈴木龍二セ・リーグ会長は二度に渡る談話で「個人タイトルのための作為的な行為はファンを無視するもの」と指摘し、「野球の権威および、その技術に対する国民の信頼を確保する野球協約の根本理念に反する」と厳しい声明を発表したほど。
責任を一人でかぶるつもりだ。安藤監督は「広報(私のこと)、オレ、もう辞めるわ」。大変なことになった。私では役不足。当時の故・小津社長、故・岡崎代表を呼びに行く。監督室で三者会談がはじまった。広報室で待機。なかなか終わらない。終わるどころか、代表から「本間、ちょっと来てくれ」のお呼びが。とんでもない憶測が頭をよぎった。「まさか・・・。退団発表・・・」。思い過ごしでホッとした。まだ結論は出ていない。当然だろう。そんな簡単に気持ちが変わる問題ではない。また、撤回する人でもない。わかってはいるが、説得の助っ人に呼ばれたわけだ。これだけは言っておきたかった。「監督、ここで辞めたらタイガースの悪しき慣習は解消されません。これではまた三年で交代です。絶対辞めたらダメですよ」。監督なる人物、皆さん頑固である。他人の意見など聞かない人が多い中、安藤監督は珍しく聞く耳を持った人だったが、この時ばかりはその耳はどこかに忘れてきたようだ。
実はこの年『安藤続投』は9月の中頃、すでに正式発表していた。思わぬ出来事に苦慮はしたが、こうしたケースは、その時の精神状態でどこの世界でもよくある事。約一週間後だったか、冷静になった同監督、思い直してくれたことで一件落着。かと思われたが、これで終幕しないのがタイガースなのか。全く予想外だった。この時点で球団をなおざりにした本社の動きがあった。なんと、某氏に監督要請のアタックをしていた。三位一体、あったものではない。安藤監督、この動きを察知してしまった。もう取り返しはつかない。「いろいろ迷惑をかけたなあ。やっぱり、やめるわ」。あってはならないことが起こっていた。理由を聞いて大きなショックを受けた。過去、監督問題等でマスコミに多くの非難を受けてきた。反省の色は全く無い。懲りない面々の集まりなのだろうか。これで終わらない。
安藤監督の辞任が決まった。次期監督の招聘に動き出した。なぜか、ここでもまた首をかしげる一件が起こった。組織の中で仕事を進めていく大事な心得として「報、連、相」がある。報告、連絡、相談の頭を取った言葉だが、常に報告し合う。連絡を取る。時には、みんな集合して相談する。当然ひとつの意見がきっちりまとまる。誰とでも筋の通った話し合いができる。何ら問題は起きるはずがない。タイガースは・・・。我々広報担当。球団の動きはしっかり把握できた。小津社長が村山実氏(故人)と交渉に入った。この動きは、スポーツ紙の一面を飾った。挨拶に出向いた写真もデカデカと載る。この線で決まるものと注目していたが、やはり・・・。どんでん返しが待ち受けていた。

志し半ばで辞任した安藤監督 (上)
ある日、某スポーツ紙の一面に『吉田監督誕生』の大きな活字が躍った。またか!新聞を読んで、目の玉が飛び出るほどびっくりした。寝耳に水。我々の全く知らないところでの交渉成立。小津社長が囮になっていた。バレにくいはずだ。すんなり本社の意向が通った。同社長の立場はズタズタ。村山氏にとっても、いい迷惑。平身低頭、謝罪に出向いて事を収めた人の結末は、その年で退団。信じられなかった。こんな事があっていいのだろうか。この組織に『三位一体』『報連相』の心得はなかった。世の中の醜いところを見たような気がした。今はもう無いことを信じたい。この一件、翌年の二十一年ぶりの優勝、初の日本一が全てを消してくれたが。この年(1984年)いまひとつ、わたくしの広報担当生活の中で、最も不思議な出来事が起こっていた。
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