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第十六回 「チームを襲った悲劇を乗り越え
史上初の日本一へ」 [07.12月号掲載]
1985年、初の日本一。関西は大いに盛り上がった。経済効果は、なんと当時で『四百億円』とも・・・・・・。関西における阪神タイガースの存在を物語る勢い。その勢いにもましてショックを受ける出来事が起こった。中埜肇球団社長の事故死である。八月十二日だった。羽田空港発午後六時十二分、大阪・伊丹空港行き日本航空123便の墜落事故。離陸してまもなく羽田空港管制塔に『羽田に引き返す』の緊急信号を発信したまま、東京航空交通管制部のレーダーから機影が消えた。捜索に出動した自衛隊機が群馬と長野の県境、上野村の御巣鷹山山中で炎上する物体を発見。午後七時過ぎ墜落が確認された。
チームはこの日、福岡から空路東京入りした。到着後は、あくる日からの巨人戦に備え、神宮の室内練習場でバッティング等、軽い練習で汗をかいて帰宿した。ホテルに着いてしばらくすると電話が鳴った。『また取材の依頼かな』優勝争いをしていた。取材の申し込みは結構あった。そんなつもりで軽い気持ちで受話器をとると、球団からだった。身内からの電話にあまりいい話はない。『広報担当は外出しないように』ときた。予感はピッタリ。内容を聞いてビックリした。『中埜社長が墜落した日航機に搭乗しているようだ。確認できしだい、また連絡する』だった。信じられない。間違いであってほしかった。外出など考えられない出来事ではないか。
待機しているときの時間は長く感じる。なかなか連絡がない。報道陣はゾクゾクと詰めかけてくる。スポーツ紙の記者だけではない。グラウンドでは見かけたことのない一般紙の記者もいる。社会部の記者だろう。報道陣に逆取材してみると『間違いないようです』の返事ばかり。明るい話はない。当時は携帯電話はない。部屋で待つしかない。テレビのニュースに釘付け。社長の名前は出てこない。名前が出てこないにこしたことはないが、何時ごろだっただろう。おそらく、もう午後九時近かったと思う。『搭乗しているのは間違いない』の一報がはいった。間違いであってほしいという願いは、はかなく消えた。同社長、巨人戦の前のカード福岡・平和台球場の中日戦に来福されていた。そのときに東京行きの話を聞き、『それなら、十三日からの巨人戦を見てから帰阪されたら』というやりとりをしていただけにショックは大きかった。結局、この日は死亡の確認までにはいたらなかったが、飛行機の墜落事故である。ご冥福を祈るしかなかった。
生存者が四人いた。奇跡は起きたが、乗員、乗客五百二十名の生命が奪われた。悲惨な事故。中埜社長の不慮の死。吉田監督は十三日の試合前、選手を集めて『悲しい出来事が起こりましたが、我々は勝つことが社長の死に報いることであり、全員が一丸となって戦いましょう』と訓示。選手の闘争心をあおったが、精神的な落ち込みは予想外に大きかった。ペナントレースは待ってくれない。ユニホームの袖に喪章をつけて試合に挑んだが、思いもよらぬ六連敗。うち、直接優勝争いをしていた巨人と広島に五敗。奇しくも長期ロードの真っただ中。苦しいレース展開となったが、バース、掛布、岡田の三本の柱がそう簡単に崩れることはない。八月二十七日、広島を敗って首位を奪回してからは、もうトップの座を明け渡すことはなかった。九月の上位三チームの成績を見ると、広島の六勝十一敗一分け、巨人の六勝十三敗に対して、なんとタイガースは十三勝五敗一分け。そのままゴールに飛び込んだ。社葬は八月三十一日、吹田市の千里会館で行われ、優勝決定後には吉田監督、岡田選手会長が自宅を訪れ、霊前に優勝報告を行った。
こんなエピソードも。不謹慎かもしれないがお許しを・・・・・・。日航機事故の当日、知人等と約束をしていた選手は外出したが、この事故を知らないまま食事に出た選手、知ってはいても、まさか社長が巻き込まれているなどとは思わずに外出した人がいた。門限を少々過ぎて帰宿した選手は大変。ホテルのロビーに大勢の報道陣がたむろしているのを見てビックリ。『これはヤバイ』。かってに門限破りをチェックしているのと勘違い。マスコミの人たちが立ち去るまで、遠巻きにタクシーの中で待機していた選手が数人いたようだ。数日後、こんな話を聞いて大笑いしたが、悪いことはできませんね。
日本シリーズは西武相手に四勝二敗。セ・リーグ公式戦終了の二日後にシリーズ突入。ペナントレースの勢いに乗ったまま『日本一』に。フレッシュ、ファイト、フォア・ザ・チーム。3Fをスローガンにスタートした新生吉田タイガース。四月戦線九勝三敗一分け。開幕ダッシュに成功。チームが波に乗ったのは、本拠地開幕の対巨人三連戦の三連勝である。中でも二試合目。バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発は、この年のペナントレースそのもの。ホームランは順番に54、40、35で計129本。打点が134、108、101の計343。クリーンアップだけでこの数字は優勝して当然。
ゲームは別にしてこの年の優勝。私が記憶している中で最も格好良かったのは、吉田監督が就任会見で発言した『ハワイは優勝して遊びに行くところ』だろう。前年度まで行っていたハワイ(マウイ島)キャンプについての質問に答えたものだが、有言実行。現実のものにしたのだから立派。そして一、二軍全員参加のハワイ旅行。この時以外、他チームでも全選手が参加した優勝旅行はいまだにない。七泊九日、太っ腹の故・岡ア社長の決断も実に格好良かった。うーん。まだ書き足りません。写真週刊誌事件等、この年の出来事、もう一度お付き合いを・・・・・・。
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