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月刊タイガース(今月号) > 半世紀回虎録バックナンバー第十七回
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第十七回 「アクシデントでの対応力 掛布、岡田の人間としての強さ」 [08.1月号掲載]

  世の中、時の流れは結構早い。昨年十月一日、小泉元首相の置きみやげ、郵政省の民営化がスタートした。新時代の到来といってよかろうが、我々、年齢を重ねるごとに、“時代の流れ”から置き去りにされるケースはよくある。1985年も、タイガースの日本一は別にして、四月一日から電信電話公社が、日本電信電話株式会社(NTT)に。専売公社は日本タバコ産業株式会社(JT)へ。両公社が一度に民間会社として生まれ変わった。さらにこの年、新しい時代への加速を痛感したのが、任天堂のゲームソフトである。あの『スーパーマリオブラザーズ』。なんと国内で六百八十一万本。海外では三千三百四十二万本を売り上げたという。実に恐ろしい数字だが、私、やはりこのゲームソフトについていく余裕はなかった。と言うより、正直頭がかたくてついていけなかったのが正解。時代の流れには逆っていても、広報担当四年目。仕事の面では大体のハードルはクリアしていた。少々のことで悩むことはなくなっていたが、この頃、我々にとっては厄介な週刊誌が発刊され、プロ野球界をターゲットに動き出していた。
 フライデー、フォーカス。そう写真週刊誌である。人の迷惑など全く考えない。プライベートな部分にも好んではいってくる。他人の家庭が崩壊しようが、誰が悩もうが知ったことではない。こんな雑誌に報道の自由があっていいのだろうか。タイガースの問題だけでなく、疑問を抱くケースは多々あった。『公人でもないのになぜ』問いかけてみた。返事は『有名税』だという。タイガースも狙われてた。標的はやはり掛布、岡田の二枚看板。掛布には東京。岡田には名古屋のホテルで寝込みを襲われて取材に同席したが、鬼の首でも取ったかのような相手の態度には腹が立つ。『あんたら、こうした人の嫌がる取材ばかりしていて、“悪いなあ”とか“いやだなあ”とか思わない』人間らしいところがあるか探ってみたが『仕事ですから』冷たい返事。聞いた話だが、選手追跡の方法もけしからん。我々が宿泊しているホテルのフロントからタクシーを呼ぶ無線をキャッチしていたという。例えば『○○ホテル。○○さんで正面玄関に一台』誰が外出するかすぐわかる。狙いを定めた選手の名前でタクシーが呼ばれた。あとは尾行するのみ。両選手とも現場を突き止められ、週刊誌に掲載されたが、こうした問題、ある意味若気の至り。逆に私はこの一件で彼らの本当の姿を見た。
 普段の両選手。実に面倒見はいい。バッティング投手等、裏方さんや若手投手をよく食事に誘っていた。私たちにもホームラン賞とか、その試合に出ている賞品を渡してくれた。衣類、食品、飲料水など結構重宝した。チームの柱である両選手。夏場の大事な時期。優勝争いに水を差されるのではないかと心配したが、同誌の話題が表面化したときの掛布。我々凡人では持っていない“芯の強さ”を感じた。本当の勝負師。負けん気は人一倍。当日の試合。『こんなものに屈してたまるかー』。私にはこう言っているように映った。落ち込む姿は全く見せない。きっちりゲームを左右する活躍をしている。実に逞しい男だ。精神力の強さと言おうか、逆境に立ったときこそ持ち味を発揮する。何年もチームの四番を打ち続けてきた人間の強さを見せてくれた。
 岡田も大した男だ。思いやりのある人間性を垣間見た。写真週刊誌の一件、実をいうとこのとき、いっしょに行動していた選手が何人かいた。数人で遊びに行っていたのであれば、別に問題になるような出来事ではない。名のに、岡田は取材記者の前では他選手のことはいっさい口にしなかった。それどころか、私にも話してくれなかった。後日、行動を供にしていた選手から事情を聞いて初めて知ったことだが、岡田本人は『僕が連れていったんですから、その人たちに悪いでしょう』だった。普通の男ではない。ここに今の岡田監督があるような気がする。

 感心する出来事にも遭遇した。九月四日、ナゴヤ球場における中日戦。試合前の練習中、当時左のストッパーとして活躍していた山本和行投手が、左足アキレス腱を断裂したときのことだった。チームにとっては大変なアクシデントだが、私自身は生まれて初めて救急車に乗った。めったにあることではない。よーく覚えている。赤信号を突っ走るときの気分、さぞや爽快なものだと思い込んでいたところ、これが意外に怖い。横から車が飛び出してこないか、気になって仕方なかった。不謹慎と思いながらもこの体験が伝えたいばっかりに、つい話題が横道にそれてしまったが、本題は名古屋の病院で固定してくれたギプスをめぐってのことである。あくる日のことだ。念のため、帰阪して掛かりつけの病院で再診することになっていた。レンタカーに山本和を乗せて名神高速道路を利用して大阪へ。病院に到着すると、なんと主治医が玄関で待っていた。こんなことは初めて。そして開口一番こういった。『新聞の写真を見て、ギプスの固定の仕方が気になって仕方がなかった。やっぱり固定し直しますから』写真を見ただけの判断。流石だね。ここにもプロがいた。我々、感心するばかりだった。
 怖い、という表現が的確かどうかわからないが、こんな事件もあった。六月三十日、甲子園球場での巨人戦。優勝争いしている年のドル箱カード。当然、前売り入場券はよく売れている。多少の無理は覚悟で早めの開門。結果は凶と出た。雨が降り出す。自然には勝てない。中止を余儀なくされた。球団が受けるダメージは大きい。悪いときには悪いことが重なる。しばらくすると雨が上がった。スタンドからクレームをつけていたファンが二人、三人。外野フェンスを乗り越えてグラウンドに乱入しだした。もう止まらない。私も、球団、球場の職員たちとスタンドへ戻るように説得に行ったが、乱入してきた連中を見てビックリ。みんな若い。十代の半ばから後半の若者ばかり。服装等で判断したらいけないが、兄貴分の命令なら、どんなことでもやりかねない輩を見て、恐怖心を抱いた記憶がある。最終的には約千人のファンがグラウンドを占拠。二時間、中止の腹いせに走る、スライディングをする。もうやりたい放題。警察の出動でやっと収まった。まさかの出来事。こんなことまでするとは・・・・・。本当、疲れました。
 複雑な心境になったのは、優勝を決めた日、テレビに映し出される大阪の町を目にしたときだ。皆さんもご存じでしょう。確かに長い道のりだった。我慢に我慢を重ねて待ち続けた瞬間。首を長くして待っての感動。痺れを切らせて待ちわびた美酒。ファンのボルテージは最高潮に達していた。うっぷんが一気に爆発し、大いに盛り上がるのはよくわかるが、決して綺麗ではない、危険が伴う道頓堀川へのダイブは目を覆いたくなった。驚いたことには女性までが飛び込んでいる。一方では人の迷惑を省みず車に火を付けたとか・・・・・。いろいろあり過ぎたけど、いい一年でした。翌年は掛布に野球人生を左右するアクシデントが。そして、私は1987年から営業部へ移動。違った角度から野球を見ることになる。
             
 

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