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第二十二回 「長年の協力に感謝 キャンプ地・安芸の思い出」 [08.6月号掲載]
ダーウィンの『進化論』ではないが、プロ野球界は進化の時期を迎えていた。近鉄・野茂がドジャースへ移籍。大リーグで新人王を獲得した。オリックス時代のイチローは、プロ野球史上初の一シーズン二百本安打を放った。長嶋・巨人といえば『メークドラマ』の優勝。球界の制度としては、フリーエージェント。ポスティングシステムなどが新たに設けられた。そして、福岡、大阪、名古屋にドーム球場が新設された。阪神タイガースも合宿所を鳴尾浜に移転。球場と一体になった。野球をするための申し分ない施設を整えたが、一向に前に進まないのがチーム作り。投、打の柱になる選手が育ってこない。
チーム作りに関連して、練習の場、キャンプ地(高知・安芸市)が転換期を迎えていた。昭和四十年に建設した球場である。新設された年の私、ユニホームを着て参加したが、このときはキャンプ担当者。立場はまったく違う。時は流れている。一、二軍合同では手狭になったのは一目瞭然。練習内容が多岐にわたり、量も増えた。選手の人数も多くなった。雨天でも予定通り練習を行う。内野がすっぽりはいる常設の室内練習場が不可欠になった。当時の施設を簡単に説明すると上、中、下の三段に分かれている。一番上がメーン球場。中段は陸上競技場。下段はキャンプ時にエアーテントを張るスペースと駐車場。他に球場に隣接する空地はない。拡張するには、中段、下段に手を入れるしかない。別件もあって試行錯誤を繰り返していたが、改造には常に前向きであったのは確かだ。
当時の安芸市長は山崎^一氏。タイガースへの協力体勢は我々にも伝わっていた。人口三万人前後の小さな町である。資金に余裕があろうはずがない、表面に出せない何かがあったのだろう。その中での決断。我々にとっては非常にありがたかった。同市の窓口は森田修一氏(現在は定年退職)。キャンプ中は、よく席を同じくして球場建設について話し合った。理想は『選手が体ひとつで来て練習できる施設』だった。お互い意見は一致していたが、同市長の決断によって、夢が現実になった。拡張工事のゴーサインが出た。中段を南に伸ばしてバッティングができるようにする。下段も海側にずらし、敷地面積三千六百四十ヘーベーの立派な室内練習場が建てられることになった。
平成六年二月十九日工事着工。キャンプ中ではあったが、練習に支障のない場所から手掛けていった。早目の着手は、この年の秋季キャンプまでに完成させるため。さすが安芸市。サブグラウンド(中段)の拡張。夢だった安芸ドーム(下段)は十月十八日に完成した。敷地面積は前に同じ。建築面積二千八百七十三・五ヘーベー。延床面積三千二百四十七ヘーベー。高さ二十三メートル。練習場は五十メートル×五十メートル(縦、横)で二千五百ヘーベー。その他、ロッカールーム兼ミーティングルーム。ギャラリー席。トレーニングルームに付属諸室。シャワールームにトイレは当然付いている。もう、何の心配もいらない。我々が描いていた以上のドームができあがった。
ここに辿り着くまでには幾多の出来事があった。安芸市関係者の苦労はいうまでもないが、我々にも笑うに笑えないエピソードはあった。私もバスの手配を忘れる大失態をおかしたことがあった。不安な毎日を過ごさざるを得なかったのがドーム完成前に使用していた『エアーテント』である。まっさらの時は良かった。事が起こったのは二度目から。テントは張ったものの、何カ月も畳んだまま外に置いてあった。心配の種は雨漏り。漏るかどうかは、雨が降るまでわからないから厄介。テントを使用するのは雨の日。それまでに雨が降って一度テストしてくれると助かるが、そんな都合よくいくはずがない。『本間さん、やっぱり雨漏りしています』早朝の電話連絡だ。眠気はいっぺんに吹っ飛ぶ。即球場に駆け付けるも、私が行っても何の役にもたたない。こういう時に頼りになるのが阪神園芸さんと当時の峯本マネジャー(現編成部次長)。皆さんにはそれぞれの仕事以外にすっかりお世話になった。今では笑い話になっているが、あのテントには、ドーム完成まで泣かされました。
担当者として、キャンプ地の人との触れ合いも大事だと思った。接触する時間はあまりなかったが『ひと言お礼の言葉をかけることができれば』と思って、キャンプ終了直後、現地での精算を続けた。逆に手間をかけたかもしれないが、私が宿泊していた旅館に出向いて戴き、かかった経費を現金でお支払いした。今時だ。後日の振り込みでいける。とも思ったが、ひと声かけることによって相手に与える印象は違うはず。春、秋年二度。担当していた九年間続けさせてもらった。この精算のため、帰阪するチームを高知空港へ見送りに行ったあと、タイガースの関係者で私一人だけが再び安芸に戻る。毎年のことだが、この時ばかりは何んと複雑な心境だった。
いまだに安芸の町は好きですね。山崎、森田の両氏をはじめ、球場に携わる市役所の人。いろいろなアドバイスを戴いた市民の皆さん。感謝の気持ちでいっぱいです。いまや、自分の故郷より親しみを感じる町である。タイガースもまだまだお世話になっている。キャンプ時のもろもろの依頼は、本当、親身になって動いてくれる。安芸氏の協力があってのキャンプである。同市の人達の気遣い。一緒に仕事をしていると、ひしひしと伝わってくる。一時、一軍が芸西村、二軍が室戸市に宿泊していた時期があった。キャンプ地にメリットのない矛盾した年が続いた。『これでいいのか』と思ったことはあったが、今のシステムになって、ファームが一カ月安芸市に宿泊するようになった。多少なりともお金は落ちる。キャンプに拘ってきた私としてはひと安心したが、あくまでも私の個人的な意見としてひと言。球場使用料は、高知市営球場、県営春野球場、東部球場に比べると、安芸市営球場はかなり安い。同市の数十年にわたる協力体勢にいま少し報いてほしい気がする。
二十世紀の後半から二十一世紀の序盤。皇太子殿下の御成婚。関西国際空港の開港。明石海峡大橋の開通。そして、阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。ダイアナ元皇太子妃の交通事故死など。数え上げれば切りがない出来事があった。タイガースの低迷期がいかに長かったか。浮上のきっかけが・・・。 |
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