本間勝交遊録
15人目 安藤統男 その2
マスコミサービスを重視した気遣いの人 [10.7月号掲載]
 激情的である。頑固者である。天の邪鬼でもある。我がままな人特有の気性すべてを持ち備えていたが、意外や、もうひとつ、性格から見て珍しい一面があった。人の話を聞く耳を持っていたことだ。無理矢理自我を通すところ、自重するところを心得ていた人。しかし、久々の対面も安藤氏が監督として、私が広報担当としては初めての体験。お互い、野球の本質、マスコミの内幕は知り尽くしているものの、不安がないはずがない。キャンプに入った。この時期、まだ厳しい内容の紙面はほとんどない。神経をピリピリ尖らせる必要はないが、練習後などよく監督の部屋へ行って、雑談を交えながら話し合ったものだ。
 自分自身が新聞記者として相手に求めてきたこと。虎番記者が監督に要求してくること等々、私がマスコミの世界で経験したことの中で気になったことを伝えたりした。その中で一番強調したのが、担当記者とのコミュニケーションである。その理由は『野球を担当する記者であっても、野球を経験している人はわずかしかいない。ましてや、プロ野球経験者などは皆無に等しい。だから、虎番記者が“安藤野球”というものを理解してくれるようになるまで、どんどん野球の話をしてやってほしい』からだった。番記者が安藤野球を理解してくれることによって、安藤作戦の意図も理解してくれる。広報担当として、こういう関係が理想だと思っていた。
 『なるほどなあこれから時間があったら担当記者と雑談するわ』この点が他の監督と違うところ。敵愾心を持ってしまっては溝は深くなるばかりだが、実行もしてくれた。ペナントレース中の遠征先。ナイトゲームになると、監督も昼間は手の空くときがある。常宿にしているホテルの喫茶とかレストランに、昼頃から虎番たちが取材をかねて集まり出す。広報担当の私としては、番記者を放っておくわけにはいかない。ありがたいことに、ホテルによっては店の一角を虎番用にキープしてくれていた。溜まり場をのぞきに行くと、すでに各社の皆さんが集まっているとき、または、チラホラと集まりかけているときなどさまざまだが、コーヒーを飲みながら雑談していると監督が顔を出す。
 『やあ・・・・・。皆さんご苦労さん』安藤監督を囲んで話の輪が広がる。中心はやはり野球の話だが、結構ジョークの好きな人。冗談を連発しダジャレをしこたま発して部屋へ帰ることもあった。記者の人も、取材することによって原稿を書く時の財産になるからありがたい。星野元監督のように、朝食を一緒にしたりすることはなかったが、1982年、安藤監督はすぐにマスコミとのコミュニケーションを計っていた。テレビ、ラジオ、新聞の報道が、チームにとっていかに大事であるかを心得ていた人。だから、ここまでのマスコミサービスができたに違いない。こんなこともやってくれた。試合後などの監督談話が意図に反して報道された場合である。当然ホテルで喫茶に下りてくることはない。球場入りしてからも、ふだんはしばらくベンチで雑談してから、グラウンドに出て行っていたが、意識して外野へ直行した。『アレッ。今日の監督はおかしいな』一瞬記者の人たちは考えるが、皆さん、当然各紙に目を通している。およそのことはわかるのだろう。仲間同志、何やらヒソヒソ話をしていた。同監督『今日は外野から練習を見ましょうか』のひと言で動いてくれたからありがたい。
 マスコミサービスは、これだけで終わらない。アルコールは体が受け付けない人。お酒の付き合いはできない。ならばと進んでお手合わせをしたのがマージャン。キャンプ中、私も何度か同行したが、キャンプ地では、いつも虎番たちが宿泊している旅館へ殴りこみに行った。賭け事は好きだった。ペナントレース中も、ちょくちょく担当記者と宅を囲んだ。移動日のある遠征に出た日。この時も同行していたが、遠征先の雀荘で一緒に勝負していた。これもマスコミサービスの一環。元々博才には長けていた。互いに現役時代も時々お手合わせをしたが、なかなかの勝負師。この世界では競馬通でも名が通っていた。
 慶応ボーイ。おまけにキャプテンだった。洗練されていた。垢抜けしていた。スマートで恰好良かった。まだプロ入りは自由競争の時代。鳴り物入りで入団してきた遊撃手も、1962年、入ってきた年代が悪かった。セカンド鎌田、サード三宅秀、ショート吉田の夫人は十二球団ナンバーワン。簡単に追い付き、追い越せる相手ではなかった。東京六大学の安藤とはいえ、レギュラーポジションを獲るまで、相当の苦労があったはずだ。そういう意味では苦労人。苦労しているがゆえに、裏方の気持ちがわかり、まわりへの気遣いができたのだろう。
 残念ながら、結局三年でユニホームを脱ぐことになってしまった。ある日『マーチャンー。いろいろ迷惑をかけたなあ。オレ、やっぱり辞めるわあ』実家へ墓参りに行き、気持ちの整理をして帰阪した時にはやる気になっていた。その矢先の連絡。まさかの退陣だった。理由を聞いて、いま一度慰留する気にはなれなかった。十数年後、再度監督の要請があったようだが、この時も前回同様、本社ー球団が意思の疎通を欠いて実現しなかった。1984年、小津社長(故人)も退社されたが、安藤監督を思い出すと、何故か頭に浮かんでくるのは同社長である。『オズの魔法使い』『ブルドーザー社長』ニックネームは猛々しいが、実に情があり、めんどう見のいい人だった。次回は小津元社長で・・・・・。

列伝その16
安藤統男
1939年4月8日生まれ。茨城県出身。土浦一高-慶応義塾大-阪神タイガース。1982年、長期政権を築くことを期待され、タイガース監督に就任したが、在任期間中は3位、4位、4位と結果が出なかった。しかし在任期間中にバースの入団、山本のリリーフ再転向、平田のレギュラー抜擢による真弓、岡田のコンバート、木戸、中西、池田をドラフトで、弘田、永尾をトレードで獲得するなど戦力整備を進めた。彼らは1985年のリーグ優勝、日本一に欠かせない戦力となったため、後年この快挙の基礎を築いたと評された。また、安藤の就任に伴って大幅にモデルチェンジされたホーム用ユニホームは数度のマイナーチェンジを重ねつつも、2006年シーズンまで基本デザインは踏襲された。
49人目 三好一彦~ 『虎の穴』の生みの親 [13.10月号掲載]
48人目 猿木忠男~ 虎の歴史とともに歩んだ名物・名トレーナー [13.9月号掲載]
47人目 木戸克彦~  虎一筋三十余年 今を支える苦難の日々 [13.8月号掲載]
46人目 中田良弘~  気さくな『男前』投手との意外な接点(?) [13.7月号掲載]
45人目 江藤愼一~  セ・パを渡り歩いたバットマン 〝闘志〟の裏の優しい笑顔 [13.6月号掲載]
44人目 和田博実~  「野武士」の理論派の意外な一面 [13.5月号掲載]
43人目 杉下茂~ 憧れの〝フォークの神様〟温かな気遣いの思い出 [13.4月号掲載]
42人目 王貞治~ 世界のホームラン王に打たれたあの一本 [13.3月号掲載]
41人目 新庄剛志~ 予測不能な天性のスター [13.2月号掲載]
40人目 野村克也 その二~ 虎に浸透させた「野村の考え」 イメージに反して意外な一面も [13.1月号掲載]
40人目 野村克也 その一~ 虎を変えた名将 気の毒な退団劇の顛末 [12.12月号掲載]
39人目 久万俊二郎 ~ 自ら動いてチーム再建に尽力 酸いも甘いも噛み分けた名物オーナー [12.11月号掲載]
38人目 根本陸夫 ~ チーム強化に辣腕を振るった「球界の業師」その素顔 [12.10月号掲載]
37人目 竹之内雅史 ~ 独特のフォームがトレードマーク 寂しさの残ったチーム離脱 [12.9月号掲載]
36人目 田淵幸一 そのニ ~ 強運と声援を味方にした 本物の四番打者 [12.8月号掲載]
36人目 田淵幸一 その一 ~ 天性の「人柄」が育んだホームランアーチスト [12.7月号掲載]
35人目 西村一孔 ~ 球団初の新人王の 太く短かった野球人生 [12.6月号掲載]
34人目 前岡勤也 ~ プロでは花開かずも 昔も今も変わらぬ好人物 [12.5月号掲載]
33人目 藤本勝巳 ~ 「努力」で輝いた野球人生 [12.4月号掲載]
32人目 田宮謙次郎 ~ あと一人で逃した 球界初の〝完全試合〟 [12.3月号掲載]
31人目 梶岡忠義 ~ 小さな体に不屈の魂 生涯〝野球大好き人間〟 [12.2月号掲載]
30人目 後藤次男 ~ マイペースでお人好し 愛すべき〝クマさん〟の思い出 [12.1月号掲載]
29人目 山本哲也 ~ 「名捕手」の条件を全て兼ね備えた良き女房役 [11.12月号掲載]
28人目 山本和行 ~ 〝1985〟歓喜のシーズン リリーフエースを襲った不慮の事故 [11.11月号掲載]
27人目 中西清起 ~ 八十五年、歓喜の胴上げ投手の不思議な思い出 [11.10月号掲載]
26人目 小林繁その2 ~ 「男の美学」 を貫いた生涯 [11.9月号掲載]
26人目 小林繁 ~ 「悲劇のヒーロー」 イメージと戦った人気者の素顔 [11.8月号掲載]
25人目 藤本定義 ~ 六球団で二十九年 名実共に「大監督」の素顔 [11.7月号掲載]
24人目 金田正泰 ~ 忘れられない プロ初勝利の温かい握手 [11.6月号掲載]
23人目 ランディ・バースその2 ~ 脚光の裏にあった〝努力〟と順応性 [11.5月号掲載]
23人目 ランディ・バース ~ チームに馴染む努力を惜しまなかった 史上最強の助っ人 [11.4月号掲載]
22人目 川藤幸三その2 ~ 勝負師としての職人、そしてムードメーカー 二人の川藤幸三 [11.3月号掲載]
22人目 川藤幸三 ~ 信望集める新OB会長は 球界稀代のムードメーカー [11.2月号掲載]
21人目 並木輝男 ~ 豪華な交遊、スマートな物腰 教わった『焼き肉』の味に大感激 [11.1月号掲載]
20人目 鎌田実 ~ 寡黙な職人気質も一転 一生涯を野球に [10.12月号掲載]
19人目 三宅秀史 ~ グラウンド内外のギャップに驚く 玄人好みの名三塁手 [10.11月号掲載]
18人目 吉田義男 ~ 俊足で華麗な守備のスタープレーヤーから初の『日本一』監督へ [10.10月号掲載]
17人目 岡崎義人 ~ 小柄で豪放 人柄が慕われた球団社長 [10.9月号掲載]
16人目 小津正次郎 ~ 世間のイメージに隠された 温かい人柄と人間味 [10.8月号掲載]
15人目 安藤統男その2 ~ マスコミサービスを重視した気遣いの人 [10.7月号掲載]
15人目 安藤統男 ~ 『ファン重視』の姿勢が生んだ監督辞任事件 [10.6月号掲載]
14人目 藤井栄治 ~ 我が道を行く『鉄仮面』 [10.5月号掲載]
13人目 遠井吾郎 ~ 多くの人から慕われた 仏のゴローちゃん [10.4月号掲載]
12人目 山内一弘 ~ 名古屋訛りの大阪弁を喋る オールスター男 [10.3月号掲載]
11人目 ジーン・バッキー ~ ニッポンに溶け込んだ ただ一人の外国人沢村賞投手 [10.2月号掲載]
10人目 渡辺省三 ~ 独自の調整法で磨いた抜群のコントロール [10.1月号掲載]
9人目 小山正明 ~「本格派」精密機械投手の愛すべき素顔 [09.12月号掲載]
8人目 尾崎将司 ~異業種への華麗なる転身 [09.11月号掲載]
7人目 稲尾和久 ~元祖・鉄腕投手からの仰天のひと言・・・ [09.10月号掲載]
6人目 中西太 ~逸話の枚挙にいとまがない怪童の意外なイメージ [09.9月号掲載]
5人目 真弓明信 ~その2~292本塁打、そのパワーの原点 [09.8月号掲載]
5人目 真弓明信 ~小さな体でコンスタントに力を出せたその訳は・・・ [09.7月号掲載]
4人目 岡田彰布 ~その2~したたかに、抜け目無く、それでいながら無頓着 [09.6月号掲載]
4人目 岡田彰布 ~気遣い上手で、したたかで、選手時代から発現していた類い稀なるリーダーシップ [09.5月号掲載]
3人目 掛布雅之 その2~努力に努力を重ねて [09.4月号掲載]
3人目 掛布雅之 4番としての矜持 [09.3月号掲載]
2人目 村山実 「炎のエース」との水遊び [09.2月号掲載]
1人目 藤村富美男 物干し竿で記録と記憶を残した栄光の背番号「10」 [09.1月号掲載]
4月号4月号
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