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本間勝交遊録
[9.7月号掲載]
5人目 真弓明信 
小さな体でコンスタントに力を出せたその訳は・・

 性格は明るい。男前だ。おおらかな心の持ち主で、やさしく見えがちだが、そこは九州男児。なかなかの頑固者。一度言い出したことは曲げようとしない。人付き合いはいい。気遣いもできる。やや神経質な面はあるが、方言で表現するなら、人間味のある“ヨカニセドン”。そして、人一倍の凝り性で、どちらかと言えばお喋りマン。話題は豊富だ。特に野球、ゴルフを語らせたら終わりはない。私が接してきた選手時代の真弓明信監督とは、こんな人。
 同氏を通し接して感じたことは『この選手、一シーズン、コンスタントに力を出せるのかなあ』だった。すでに五年間、百試合以上出場していた。三割を打った経験はなかったとはいえ、実績は十分。ましてや攻、守、走三拍子揃っている。心配する必要はないと思うが、夏場の間選手を見ていると、首をかしげたくなる。頬はコケてくる。目も落ち込んでくる。まさに夏バテ現象。本人に聞いてみた。『なかなか寝付けないし、食欲もなくなる』というのだ。体力勝負の世界だ。体力が消耗し、疲れが蓄積するようでは力が出せない。ますます不安は募るばかりだったが、さすがプロ。この年、全試合(百三十)に出場。打率.293の成績。そして、翌年には.353の高打率をマーク。首位打者に輝いている。取り越し苦労に終わってホッとしたものの、あの頬がコケ、目の落ち込んだ顔を思い出すと不思議でならなかった。気になるのは生活環境だ。睡眠、食欲。プロ野球選手にとっては致命傷になりかねない欠点である。さすがプロ、というひと言で片付けられない何かがあるはずだ。二十四、五年前を振り返ってみる。この世界、夏場は完全な夜型人間になる。遠征先、試合が終わって、食事を済ますと、もう日付け変更線を越えている。すぐに寝ては体に悪いという。しばらくはテレビを見たりして時間を潰しているが、午前二時を過ぎても宿舎内をウロウロしていたのが現監督。廊下でバッタリ顔を合わせることがある。『相変わらず寝るのが下手やなあ』とジョーク気味に声をかけると『いまに始まったことではありませんから』と全く意に介していないところが、真弓の真弓たるところか。回想してみるといろいろ思い出すが、どうも、午前二時以後の行動が元気の源になっていたようだ。
 一年間、コンスタントに力を出せた秘訣は、ストレスを後に引きずらないことだった。寝付けない男である。ベッドにはいっても眠れない日が続く。生活であれば、イライラは募るばかりだが、ある行動が苛立ちを回避し、ストレス解消に繋がっていた。その行動とはー。真夜中の同氏。息抜きのために足を運ぶところがあった。トレーナー室だ。別に自分の体を手入れするわけではない。目的はといえば、話し相手をゲットすることにあった。ターゲットは選手に限らず、トレーナーも餌食になる。『毎度のことですが、昨夜も窓の外が白けてましたよ。我々も睡眠不足になりますわあ』某トレーナーのこんな嘆きは、何度となく聞いた。
 お喋りが始まる。本来ならこの時間、ベッドの中でのたうちまわっているはずだが、仲間と話が弾んでいれば精神面はすごぶる良好。全く苛つくことはない。この時間こそが同氏を生き返らせていたすべてではなかろうか。この部屋、不思議なことに真夜中でも空腹を満たしてくれる。外出していた連中が、必ず手土産を持ち帰ってくれる。少々遅くとも食べ物がある。だから皆が集まる。夜型人間の集団だ。結構宵っ張りは多い。話し相手は何の苦もなく見つかる。ジョークの好きな男だ。冗談混じりの話題から始まるお喋りも、全員が共通の話題といえば“野球”である。面白いもので、話の内容はいつの間にか熱っぽい野球談義になっているではないか。若手は野球の勉強になる。団体競技のチームワークに繋がる。そして、本人のストレス解消。まさしく一石二鳥ならぬ、一石三鳥の役目を果たしていた。私は、この行動こそが選手時代の栄養剤だったと思う。もう選手が夜遅くトレーナー室に集まる習慣はなくなった。そういえば、一枝氏がヘッドコーチに就任した1997年『何であんな有意義な場所がなくなったんや。復活させることはせきんのか・・・』と本気で検討したものだ。諸事情あって実現しなかったが、同氏は日本一になった年にもコーチとして在籍していた。真弓氏をはじめ多数の選手がこの部屋で、どんな雰囲気で、どんな会話をしていたかよく知っている。当時の真弓明信選手の動行があっての要望であり、あのお喋りがいかに役立っていたかを証明している。
 ストレス解消法、いろいろあるものだ。おそらく本人は意識していないだろうが、私の見方に間違いない。何が幸いするかわからない。睡眠、食欲の大敵と戦いながら残した実績は大したもの。次回はあの体で、あのパワー。原点に的を絞ってみる。
列伝その5
●真弓明信
福岡県出身
柳川商高(現・柳川高)〜電電九州〜太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ (1973-1978)〜阪神タイガース(1979-1995)〜大阪近鉄バファローズ (2000-2004<2000-2001打撃コーチ、2002-2004ヘッドコーチ>)〜阪神タイガース(2009-監督)
 1980年代〜90年代前半のタイガースを代表する名選手で、走・攻・守三拍子プラス甘いマスクで人気を博した。1979年にクラウンライターライオンズからタイガースにトレードで加入すると、その年にいきなりサイクルヒットを記録。以降、タイガースの主力選手として活躍し、1983年には打率.353で首位打者を獲得。日本一を達成した1985年は一番打者ながら打率.322、34本塁打、84打点とクリーンアップ並の成績を残した。
 「史上最強の一番打者」と恐れられたように、初回先頭打者本塁打通算41本は歴代2位の記録。ダイヤモンドグラブ賞、ゴールデングラブ賞の受賞経験こそないものの、異なる3つのポジション(セカンド、ショート、ライト)でベストナインを獲得している。晩年は代打の切り札として勝負強さを発揮し、1994年にはシーズン代打30打点という日本記録も樹立している。現役引退後は解説者、評論家、コーチを経て、昨オフにタイガース監督に就任し、今シーズンから指揮を執っている。

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