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本間勝交遊録
[9.12月号掲載]
9人目 小山正明
「本格派」精密機械投手の愛すべき素顔

 ジョークの好きな人。実に愉快な人。関西風にいうなら“おもろい、オッチャン”球場入りしてくるのを見て挨拶すると『オハヨゥ―。ところで何か良いことないかぁ?このところちっともエエことないんやぁ』。のっけからこれだ。挨拶代わりにジョークが返ってくる。温かみのあるやりとりだが、声の主はというと三百二十勝投手・小山正明さん。甲子園球場はOB室での出来事。こんな話も。『最近はなぁ、ようゴルフに誘われるんや』と―。
 何が言いたいかはよくわかる。ふだんの話を聞いていると、どうもゴルフの腕前が鈍ってきているらしい。当然だろう。年齢を重ねてきたことで、飛距離は落ちた。体はイメージどおりに動いてくれないから、正確さにも欠ける。目が悪く(老眼)なって、芝生のラインを読むのに微妙な狂いを生じてきた。かつてのシングルプレやーもいいところなし。ワンラウンドのスコアは、全盛時に比べると20〜30打は多くたたいている。これまで痛い目にあってきた人達が『いまなら、勝てる』と睨み、この時とばかりに声をかけてくるのだろう。
 そういえば最近、ゴルフの話題になると『ボヤキ』が出るようになった。ままならぬ一打、一打。自分自身が歯がゆいのだろうが、私のイメージの中で、阪神タイガースのゴルフの先駆者といえば、やはり小山さんだ。1950年代の半ば頃からゴルフを始めた。当時は、まだまだ『金持ちのスポーツ』と言われ、世の中では贅沢な遊び。プロ野球界でも、今みたいに猫も杓子もプレーする時代ではなく、ある程度の実績をあげてからでないと許されない雰囲気があった。同氏、タイガースのユニホーム組では、御園生崇男さん(故人)に次いで二人目だったという。
 きっかけは―。ゴルフを勧めてくれた人がいて、クラブのフルセットをプレゼントしてくれたこと。いただいたクラブが“ウォルター・ヘーゲン”なる舶来品。これがゴルフ熱に輪をかけた。現在では日本製クラブの品質が向上。わざわざ外国製品を買う必要はなくなったが、当時は野球、ゴルフ用品とも日米間には、かなりの差があった。私が直接かかわった野球界でも、ローリングス、スポルディング、ウィルソンなど舶来のグラブを購入することが、ある意味、一流の証明でもあった。小山さん、憧れのアメリカ製クラブを手にしたときは、天にも昇る心境だったに違いない。
 素質は申し分ない。『入団して三年目ぐらいから始めたかなぁ。三年でシングルになったと思う』。野球選手はシーズンオフしかプレーできない。相性がよかったのだろう。かなり入れ込んでいたのだろう。ハンディがひと桁になるスピードは早い。私が入団した頃、合宿所の庭先でゴルフクラブを振っていたことがあった。綺麗なフォームだ。背は高い。遠心力は抜群。足腰は鍛えている。当然飛距離は出る。メキメキ腕を上げていく。腕試しに、プロ野球界のゴルフコンペに出場した。腕の方は確かだった。初出場にもかかわらず、球界のモサ連を相手に堂々の二位。その実力をいかんなく発揮。本人も納得するコンペだったが、手にした賞品を聞いて大笑いした。
 ユーモアを交えての熱弁である。話しっぷりは実に愉快。『ビックリするなよ・・・。いまやったら考えられへんぞ。ゴッツいい賞品や。確か・・・。コウモリ傘一本やった。どう思う・・・?』。マジな顔で説明してくれるから、なおさら面白い。『えーっ』。我々、驚くと同時に腹をかかえて笑った、笑った。最近の賞品はチーム単位のコンペでも、電化製品などかなり高価。ボヤキのボルテージがぐっと上がったところで、どさくさにまぎれて現在の腕前を聞いてみた。『やっぱり歳には勝てんぞ』。この返事だけはまともに聞こえた。冒頭で話していた『誘いの多い』のがうなずける。最後に、いかにも小山さんらしいエピソードを・・・。
 ロッテに移籍してからの出来事。当時のオーナー・永田雅一氏との雑談の中で『小山よ・・・。馬を一頭やろうか・・・』。突然、こうもちかけられ時のこと。この道にはあまり詳しくない人。何と『馬ですか・・・。いやぁ、結構です』。何の抵抗もなく、お断りしたという。後日、チームメートにこの話をしたところ、『アホやなぁ・・・。オーナーはいい馬を持っているはずだから、もったいないことをしたなぁ』と総攻撃をくらった。それでもまだピーンとこない小山さん。『何言うとんねん。そんなもんもろうても、飼うところあらへんがな』。全く的外れの返事。もうまわりは呆れるばかり。競走馬の詳しい情報を聞いて、大いに悔やんだが、すでに遅い。この話題も思いっきり笑わせてもらった。
 本職では三百二十勝をあげた大投手。自分に課した練習はきっちりやり抜いた職人。妥協は許さない厳しい人。『克己を持て』を地でいった結果が実績に繋がった。ホンマもんのプロ。快速球を武器にした本格派から、精密機械と言わせた正確なコントロールを操る技巧派へと、理想の変身をした努力の人。タイガース時代、その小山さんがコントロールで一目おいた投手がいた。次回は故・渡辺省三さんの珍しい調整法を―。
列伝その9
●小山正明
1934年7月28日生 兵庫県出身

 1953年、高砂高校から大阪タイガースにテスト生として入団した。月給五千円から始まり、入団二年目には二桁勝利、1958年から3年連続で20勝以上の勝ち星を重ね、1962年には27勝を挙げてタイガースの優勝に大きく貢献、沢村賞を受賞した。その翌年には山内一弘選手との「世紀のトレード」で大毎に移籍し、この年30勝をマークして最多勝利投手を受賞した。通算23年間のプロ生活で、通算防御率は「2.45」、通算勝利数はプロ史上三番目の数字となる「320」という輝かしい成績を残した。
現役引退後はタイガースの他、西武ライオンズ、ダイエーホークスなどでも投手コーチを務め、現在は野球解説者として活躍している。2001年に野球殿堂入り。


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