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本間勝交遊録
[10.8月号掲載]
16人目 小津正次郎
世間のイメージに隠された 温かい人柄と人間味

 今ある私の恩人の一人。タイガース復帰へ手を差し延べてくれた人。小津正次郎元社長(故人)。お蔭様で、大好きな野球に携わったまま、定年退職を迎えることができた。本当に幸せ者だと思うし、大いに感謝している。当時の同社長を思い浮かべてみる。実に情の深い、人間味のある人だった。面倒見も良かった。ファンを非常に大事にする人でもあった。マスコミ報道などで、世に知られる『オズの魔法使い』とか『ブルドーザー社長』という、ダーティーなイメージとは、かなりの隔たりがあった。そして、器のデッカイ、頭の切れる人でもあった。
 確かに大胆だった。チーム作り。社長に就任するや、いきなり手掛けたのが外国人監督(ブレイザー)の招へいだった。外国人は義理とか人情には無関心。何事においてもビジネスライク。チームを大きく変えるためにはもってこい。ブレイザー監督のシビアなチーム作りには、ダーティーな一面を大いに発揮した。主力選手の田淵、古沢を放出して、ライオンズから竹之内、若菜、真弓等を獲得した。四番バッターの放出。かなり勇気のいる決断だったと思う。プロ野球界のトレード。ルール違反でもなんでもない。ごく当たり前のことだが、それでも日本の場合、割り切れない感情が沸き、非情に思える問題に発展する。いろいろ物議をかもしだした人だったが、その後の行動が小津さんならではの、小津さんらしいところ。場合によっては、イメージを損なったまま、あたかも悪人であるかのように振舞い続けてしまうから並みの人ではない。世の中、大きな声の持ち主に悪人はいないという。声は実にデッカイ。笑い声も豪快だった。
 野球の好きな人でもあった。だから、タイガースが可愛くてしかたがない。気になる。家にじっとしておれない。自然に甲子園球場へ足が向く。徒歩で通える距離。立地条件は申し分ない。あのよく通る大きな声。特長のある豪快な笑い声。同氏が来場されたときは、少々遠くにいてもすぐわかる。挨拶すると『オウ!元気かあ。君らが頑張らないとなあ』といつもハッパをかけられた。元気な姿を見て我々は安心していたが、甲子園でゲームのある日は必ずネット裏から熱い視線をおくっていた。この行動も、性格からくる温情のあらわれだろう。
 小津さんの温情と面倒見のいいところに直接触れたことがある。ある年かのキャンプ中の出来事。某スポーツ紙に、当時のコーチが主力選手を批判するコメントが載った。会社から電話がかかってきた。係の者から『小津社長です』と受話器を渡された。おおよその見当はついていたが『ハイ、本間です』と名乗ると『今日のスポーツ紙見たかあ。あの某コーチの談話だけど、本当に発言したのかどうか調べてくれ!』のお達しだった。こういう問題、一番厄介な調査である。『言った』『言わない』どこまで行っても収拾がつかないことが多い。決着させようと思ったら至難のワザ。いろんな角度から調査してみたが、案の定、やはり結論は出せなかった。
 『どこまで行っても平行線をたどっています』調査の経緯を説明したあと、こう報告をすると、同社長『そうかあ。やっぱりなあ。まあ、それやったら仕方ないが、君はどう思う』私に問いかけてきた。予期せぬ事態になって、大いにあわてた。『僕ですか……。結論とはいきませんが、新聞記者の経験から推測しますと、コーチが喋っていると思います。取材されたコーチも必ず目を通す記事に、談話の捏造はないと思います。こういう人は必ず同じことを繰り返します』それでも、忌憚のない意見を述べさせていただくと――。
 『そうかあ……。ようわかった。だけどなあ、整理するのは簡単だけど、このコーチの今後の面倒は誰が見るんや。簡単にはいかんもんなんや』小津さんの発言だ。聞いていてハッと我にかえった。さすが、トップに立つ人。そこまで考えているとは思わなかった。頭が下がった。寛大な人だ。部下を大きな懐で包み込んでくれる人である。温情と恩情の両方を持ち合わせた人。オズの魔法使い、ブルドーザー社長は仕事上の顔。確かに私も新聞記者当時は、ニックネームそのままの人かと思っていたが、温かい人柄に直に接して見直した。
 面倒見がいいといえば、こんなことも――。東京から毎年のように、高知の安芸キャンプにきていた女性ファンがいた。柴山則子さん『これから用事があったら、この人を訪ねていきなさい』キャンプ中だった。その女性と一緒にきて、私の前でこう告げていったのは小津社長。少々びっくりさせられたが、さすがファンを大事にする同社長だ。彼女、本物の虎ファンだった。当時の安藤監督が甘党であることをよく知っていて、チームが東京へ行くと行列のできる店で、何時間も並んで大福を購入。わざわざ宿舎まで差し入れに来てくれた。『大福のお姉さん』命名は同監督だったが、大福の差し入れはいまだに続いているという。そして、私の誕生日にもいまだにお花を贈ってくれる義理堅い人。ファンを大切にする小津さんの遺産だろうし、柴山さんも、面倒見のいい社長への感謝があっての行為だろう。
 チーム作りに力を注いだ人。優勝体験をしてほしかった。退いた年の日本一は複雑な心境だったに違いない。その優勝で、小津社長に代わって思い切った振る舞いをしてくれたのが、岡崎義人(故人)社長だった。
列伝その16
●小津正次郎
1915年1月29日生まれ。三重県出身。1936年に阪神電鉄に入社後、取締役を経て1978年オフ、球団創立以来初の最下位に終わったチームの建て直しを期待されて阪神球団社長に就任。球団初の外国人監督であるブレイザー氏の招へいをはじめ、長年主力として活躍した田淵・古沢を、真弓・若菜・竹之内・竹田(西武ライオンズ)とのトレードで放出するなど、球団改革を積極的に進めた。また、この年起こった「江川事件」においても、硬軟織り交ぜた交渉術で巨人のエース・小林繁を獲得。その辣腕ぶりから、「オズの魔法使い」「ブルドーザー社長」の異名をとった。1984年オフ、安藤監督の退団問題を巡って退任。1997年11月25日、82歳でその生涯を閉じた。ああ

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