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本間勝交遊録
[11.4月号掲載]
23人目 ランディ・バース 
チームに馴染む努力を惜しまなかった 史上最強の助っ人

 ポン―。チィ―。アウト(ロン)―。何度聞いても外国人のイントネーションだ。不思議に思って、声のする娯楽室を覗いてみた。いた、いた。金髪に髭面。そう、二度の三冠王に輝いたランディ・バース氏が雀卓を囲んでいる。ユニホームを着ているときとは雲泥の差。実に楽しそうだ。まだ牌をつもる手付きはぎこちない。自分の牌は一応きれいに並べているが、わからなくなってくると『タイム、タイム。ちょっと待ってください』とくる。“マッタ”をかけるケースが多いと、まわりから『早くせんかい』のプレッシャーをかけられるが、マイペース。私が現役時代に在籍していたマイケル・ソロムコ氏が、畳の部屋に設置された雀卓の前に座っていた姿を見たことがあるが、同氏以来、二代目の“変な外国人”アメリカ人と麻雀。珍しい光景を見せてもらった。
 『むずかしいねえ』簡単ではない。本音だろう。ピンズに、ソウズに、マンズ。白、發、中の三元牌に、東、南、西、北の風牌。日本人でもなかなか覚えられないのに、母国には無い字があるから大変。一番頭を痛めていたのがマンズ。洋数字であればわかり易いだろうが、牌に刻まれているのは漢数字。一萬、二萬、三萬までは理解できても、四萬から九萬までは初めて見る。どんな順番で並べていいか戸惑うばかり。何度もチョンボ(失敗)をしたという。四苦八苦するのは当然だろうが、この男、この男、麻雀だけに留まらず、将棋にまで挑戦。師匠の川藤氏を相手にするまで上達したというから大したもの。頭の良さは言うまでもないが、何よりも、日本の文化に馴染もうとする気持ちのあらわれであり、チームに溶け込もうとする姿勢がヒシ、ヒシと伝わってきた。
 チームに完全に溶け込んでいた。相手チームにとっては“憎い奴”だったと思うが、我々フロントの人間にもよく声をかけてきた。愉快なヤツだった。チャメッ気があり、イタズラの好きな男だった。『ホンマチヤーン』変なイントネーションで近寄ってくる。何かしでかしてやろう。という、イタズラッぽい表情に親しみを感じる。1987年、私が広報部から営業部へ移動した年のこと。この年、バース氏と初めて顔を合わせたのが、三月はじめ、甲子園球場での紅白戦だった。当時『窓際族』という言葉が流行語みたいになっていた。要するに、その会社で必要とされない人間の代名詞である。バース氏、その意味をよーく掌握していながら、私に声をかけてきた。通訳の本多氏を通じてのひと言は、同氏いわく『コイツ、とんでもないことを言ってますよ』だった。『どうせ、つまらんことを言ってるんやろ』と聞き返すと『そうですわ・・・・。今度の移動で、とうとう窓際族になったんかあ・・・・。言うてますわ』つい、吹き出してしまったが、私が睨みつけると、本人、腹をかかえて笑っている。本当、憎めない男でした。
 お国柄と言おうか、そこはアメリカ人だ。何をするにしても割り切った物の考え方をしていた。例えば仕事と遊び、仕事と家庭は完全に別物だった。父親が入院したときは帰国したし、息子さんが病気になったときも、チームの反対を押し切って帰った。現在ではもう理解されているが、当時の、仕事最優先の日本人気質には受け入れてもらえなかった。また、シーズン中であっても東京遠征時、子供たちとディズニーランドで一緒に遊んできた。試合当日であっても当たり前。日本の選手なら『疲れてゲームに影響する』の理由で、まず試合当日に行くことはない。日本とアメリカの文化の違いだが、バース氏、割り切った考えが物議をかもしだしたケースもあった。
 ゴルフである。現在もそうだが、当然、当時もシーズン中のゴルフはご法度だったのに、まさか・・・・・の事件が勃発した。もう、はっきりした日時までは覚えていないが、ある日、某スポーツ紙にバース氏がゴルフをしている写真がデカ、デカと載った。ゲームのない日のプレーではあったが、チームのルールを破ったことになる。処分も考えたが、なにぶん欠かすことのできない戦力。バース抜きのオーダーなんてありえない。監督もマスコミに叩かれるのは承知の上でスタメンから起用した。頼もしいヤツだった。本当に頼もしい男だった。同じ問題を二度、三度と繰り返す天の邪鬼だったが、こんな問題も発奮材料にするパワーを持っていた。あくる日の試合、いずれも打って、打って、打ちまくってマスコミを黙らせた。後日にまで尾を引くこともなく自然消滅していったのを覚えている。
 怒り心頭。後日にまで尾を引いていたのはバース氏だった。『日本のマスコミは、何でプライベートにまで入り込むんだ』しばらくは取材に応じない。一度ヘソを曲げるとテコでも動かない頑固者。本人もよく知っている。球界のOBから取材の申し込みがあっても『ノー』の一点張り。スタープレイヤー独特の気難しい一面を持っていた。広報担当を困らせることもあったが、日本の文化に馴染もうとする気持ちが“史上最強の助っ人”と言わしめる伝説を生んだ。
 史上最強の助っ人。次回もランディ・バースを期待してください。
列伝その23
●ランディ・バース
1954年3月13日生まれ。アメリカ合衆国オクラホマ州出身。右投げ左打ち。メジャー時代は守備に難があったため、レギュラー獲得まではいたらず。1983年に来日し、一年目は打率.288、35本塁打、82打点、二年目は打率.326、27本塁打、73打点だったが、研究熱心さと日本文化に馴染もうとした努力が三年目に花開いた。この年、掛布雅之、岡田彰布とクリーンナップを形成して、タイガース21年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。個人的にも打率.350、54本塁打、134打点という成績を残して三冠王を獲得。西武ライオンズとの日本シリーズでは第1戦から3試合連続本塁打などの活躍で、球団創設以来初の日本一の立役者となり、シーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得する快挙を達成した。1986年も7試合連続本塁打(日本タイ)を記録するなど前年と変わらぬ活躍を見せ、打率.389、47本塁打、109打点で二年連続三冠王を獲得。この年記録したシーズン打率.389は今なお日本記録として残っている。88年シーズン途中で退団後、アメリカで牧場経営の傍ら、市議会議員、州議会議員を歴任。プロ野球マスターズリーグなどのイベントで度々来日している。

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