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本間勝交遊録
[11.5月号掲載]
23人目 ランディ・バース その2 
脚光の裏にあった〝努力〟と順応性

 バース氏を獲得しに行った時、アメリカの担当者の評価が実に面白い。『守備は、左右両サイドとも一メートルしか動けないが、打球はアメリカから東京にまで飛ばすパワーを持っているよ』だった。もちろん〝アメリカン・ジョーク〟だが、ユーモアたっぷりに熱弁をふるってくれたという。確かに、守備範囲は広いとはいえなかったが、ハンドリングは柔らかいし、ミットさばきはなかなかのもの。邪魔になるほどの守りではない。バッティングも長距離砲によく見られる荒削りなところはない。期待どおり、日本の野球に慣れてくると三番に定着。バース-掛布-岡田という、バックスクリーン三連発の強力なクリーンアップが誕生した。
 それでも、やっと本領を発揮しだしたのは、来日した年のオールスター明けからだった。日本の風土、日本の野球になかなか馴染めなかったのだろうが、A.S.G.までにたったの九本だったホームランが、ペナントレースの終了時には、なんと〝三十五本〟にのばしている。後半戦、驚異的なペースで量産しているのがよくわかる。史上最強の助っ人。二年連続で二度の三冠王に輝いた。1985年が、打率・350。54ホーマー。134打点の成績。翌年は、打率がなんと日本球界最高の・389。47ホーマーで、109打点。実に立派な数字だ。最後の年は息子さんの病気で途中で帰国してしまったが、日本球界におけるトータルの成績は、614試合に出場。2208打数、743安打。202本塁打を放って486打点。打率は・337。凄いね。まさに〝史上最強の助っ人〟だった。
 凄い成績を残していた裏には、やはり〝努力〟の二文字があった。ゲームが終わって宿舎へ帰る。シャワーを浴びる前だ。自分で納得のいかないバッティングをした日には、必ず通訳を自分の部屋に呼ぶ。『新聞紙を丸めて投げてくれ』と要求する。フワーっとくる新聞紙を何発も、何発も打ち始める。汗がしたたり落ちるが、そんなのお構いなし。同通訳『ボクなんか呼んでも、何の役にも立たんのに、ヤツは真剣なんですよ』とよく感心していた。バッターが調子を落としたり、スランプにおちいったりすると、よくゆる〜い球を投げてもらってバッティング練習をする。フォームのバランス。球を捕らえるポイント。タイミング等が狂ってきた時にやる練習だが、バース氏の狙いも同じ。大打者であっても本人が納得するまで打ち続けるというから大したもの。やるべきことはしっかり努力するプロ中のプロだった。
 こんな助っ人がいたらなー。無い物ねだりだろう。いまだにそう思わせるほど頼りになる男だった。人気もいまだに絶大だ。数年前の出来事だが、シーズン中、予告なしに甲子園球場へやってきたことがある。久しぶりの来場だった。まだ試合前だったが、要件を済ませて球場を出ようとした時のことだった。目敏い虎ファンがバースを見付けて一声発した。『アッ。バースやぁ』あっという間だった。もう黒山の人だかり。期せずして〝バース、バース、バース〟のバースコールが起こる。通用門を出たところで揉みくちゃ。前へ進めない。予約していたタクシーまでたどり着けない。たまらず選手ロッカーへ逆戻り。タクシーを選手の駐車場にまわしてもらい、やっとのことで脱出したことがあった。
 狡賢いといったら語弊があるかもしれない。やはり頭がいいのかな。如何なる時でも、相手を貶めたりすることは絶対なかった。例えば、ホームランを打つ。広報担当としてマスコミに伝える談話を聞きに行くと『強く打つことだけを心掛けていたが、今日はときたまうまく打てただけ。いいピッチャーだし、今度対戦したら打てるかどうかわからない』など、決して相手を見下げた発言をすることはなかった。ベースを一周する時も余分なポーズはとらない。在籍中、バース氏がガッツポーズをとったところを見たことがない。あの巨体をゆすって、ただ黙々とベースを回るだけ。これが他球団の投手からも好感を持たれたのか、タイガース在籍中、ビーンボールなどは一度も投げられていない。本人に言わせると『計算どおり』 いかにもバース氏らしい一面だ。順応性もあった。左バッターには厳しい甲子園球場の浜風とも、仲のいいお友達になった。プライドの高い外国人は、自分のスタイルをなかなか変えようとしないものだが、バースは違った。プライドはかなり高い方だが、あの浜風とは喧嘩する気にはならなかった。『オレは、ノーパワーだから』 よく、こんなしょうもない冗談を言っていたが、見事、浜風に乗せた打球をレフトラッキーゾーンへ運んでいた。バースのバースたるところだが、この順応性がなかったら三冠王はなかった。
 いまだにOB会のゴルフコンペに時々参加する義理堅いヤツ。故郷のオクラホマでは議員さんに。野球をよく知っていた。性格的にも外国人選手をしっかりまとめる親分肌なところがあった。これはあくまで私個人の考えだが、一度監督をやらせてみたい選手の一人だった。監督といえば、やはり即、頭に浮かんでくるのは、自分がデビューした時の監督だ。次回はもう一度半世紀前に逆戻りして金田正泰氏(故人)に登場してもらう。
列伝その23
●ランディ・バース
1954年3月13日生まれ。アメリカ合衆国オクラホマ州出身。右投げ左打ち。メジャー時代は守備に難があったため、レギュラー獲得まではいたらず。1983年に来日し、一年目は打率.288、35本塁打、82打点、二年目は打率.326、27本塁打、73打点だったが、研究熱心さと日本文化に馴染もうとした努力が三年目に花開いた。この年、掛布雅之、岡田彰布とクリーンナップを形成して、タイガース21年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。個人的にも打率.350、54本塁打、134打点という成績を残して三冠王を獲得。西武ライオンズとの日本シリーズでは第1戦から3試合連続本塁打などの活躍で、球団創設以来初の日本一の立役者となり、シーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得する快挙を達成した。1986年も7試合連続本塁打(日本タイ)を記録するなど前年と変わらぬ活躍を見せ、打率.389、47本塁打、109打点で二年連続三冠王を獲得。この年記録したシーズン打率.389は今なお日本記録として残っている。88年シーズン途中で退団後、アメリカで牧場経営の傍ら、市議会議員、州議会議員を歴任。プロ野球マスターズリーグなどのイベントで度々来日している。

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