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本間勝交遊録
[12.7月号掲載]
36人目 田淵幸一 その一
天性の「人柄」が育んだホームランアーチスト

 打球は、大きな放物線を描いて外野スタンドに吸い込まれていく。滞空時間の長い、豪快な一発。阪神ファンにはこたえられない、魅力的なホームラン。持って生まれた天性の長距離砲は、田淵幸一氏(現楽天ヘッドコーチ)である。
 田淵氏の現役時代、私はもう球界を去っていた。新聞記者として、その活躍は常に目にしていたし、ヒーロー原稿を書いたこともあったが、この交遊録を出筆するまでの親交はなかった。同じチームで、同じ釜の飯を食べるようになったのは、星野監督の元、コーチとしてタイガースへ復帰してから。当時、広報担当として常にチームと行動を共にしていたし、後にOB会長に就任した時には、副会長として同会の運営を共にした。人柄の良さは前々から耳にしてはいたが、まさしく噂どおりの好人物。間違いなく同氏の野球人生を支えてきたのは人柄だろう。そして、心のそこから野球を愛する〝野球大好き人間〟でもあった。
 阪神ファンなら、誰もが認める、夢を運ぶアーチスト。数々の劇的なホームランには感動し、酔いしれたものだが、通算474ホーマーは歴代10位(6月17日時点)。1975年には、十三年連続してタイトルを保持していた、王選手(巨人)の揺ぎ無き牙城を打ち破り、43本のアーチをかけてホームラン王に輝いた。充実していたこの年は、全試合に出場して、セ・リーグではたった三人しか存在しない〝三割バッター〟のひとりとなっている。スタープレーヤーの仲間入りをした田淵氏だが、なんとなく生涯の成績に目を通していると、実に面白い記録に遭遇した。犠打(バント)の〝ゼロ〟である。不思議と言ったらいいのか、らしい、と言ったらいいのか、実働十六年、七千打席近くもバッターボックスに立ちながら、信じられない現実があった。この数字を見て即頭に浮かんできたのが、伝説の人、O・Nの記録である。ひもといてみると王氏が十二.長嶋氏には五つの記録が残っている。やはりあの二人でもバントはしている。まさに特筆すべき出来事だが、田淵氏の普段の行動を見ていると、これが納得できるから凄い人物だ。
 人気者だった。人気アニメ〝タブチくん〟が物語るように、誰からも愛される選手だった。一緒に仕事をしてみてよくわかった。人柄だろう。何をしても悪気のない人。野球人生の節目、節目で顔をのぞかせる、おおらかな人柄。物事にこだわらない性格が、自分自身をいい方向に導いてきたと言っても過言ではない。
 タイガース入りもそうだった。入団前から話題になっていたことだが、同氏、東京生まれの東京育ち。球界入りについては、ガチガチの巨人志向。関係者のみならず、世間も巨人入り確定の雰囲気が漂っていた。ところがである。ドラフト会議当日、いざフタを開けてみると交渉権を得たのは、阪神タイガースだった。まさかの出来事。当時の私は新聞記者をしていた。成り行きはまったくわからない。梅田にあった球団事務所に連日でかけて取材にあたったが、交渉はかなり難航した。厳しい状況、阪神入りを拒否する可能性さえあった。それが・・・。田淵氏が大英断を下した。物事にこだわらない性格がここで顔を覗かせた、としか思えない決断。なかには、巨人入りをゴリ押しした人もいたが、この時、同氏が常識を省みずに巨人入りをしていたら、誰からも愛されるタブチくんの存在はなかった。
 深夜のトレード通告もあった。球団の非常識な対応にマスコミをはじめ、世間からも非難が殺到した。当時は、現在のように携帯電話があるわけではない。早急に連絡を取ろうとするなら、家へ電話するしかない。この一件に関しては、双方に『なんであんな時間に・・・』の怒りと『なんぼ連絡をとってもつかまらなかった』という、それぞれの言い分はあったようだが、このわだかまりを解消させたのも、田淵氏のひと言だった。『私の原点は、やはり阪神タイガースです。十年間お世話になって、自分を育ててくれたのはタイガースですし、自分の今があるのはタイガースでプレーしたおかげです』この話、私も何度となく聞いた。コーチとして復帰した時の談話にもよく出てきたが、このひと言、阪神ファンのみならず、世間一般の人が抱いていたモヤモヤを一気に吹き飛ばした。いやな事があってもあとあとまで引きずらない人だが、ここでもおおらかな人柄が顔を覗かせていた。
 同じチームで一緒に戦った。田淵氏の性格、言動を目の当たりにした。本人に直接触れてみて確信を持った。今回の交遊録、少々角度を変えて執筆してみたが、あくまで本人をイメージした上で、私なりに感じたままの同氏を浮き彫りにしてみた。一回で書きつくせなかった。次回もお付き合いのほど、よろしくお願いします。
列伝その36
●田淵幸一
1946年9月24日、東京都出身。法政一高から法政大に進み、「三羽烏」と言われた山本浩二・富田勝と共に東京六大学リーグで活躍。1968年のドラフト1位でタイガースに入団した。初年度からレギュラーとして活躍し、22本塁打を記録して新人王を受賞。1975年には本塁打王を獲得した他、タイガースに在籍した10年間でベストナインを5回、ダイヤモンドグラブ賞の受賞は2回を数えた。その後、誕生したばかりの西武ライオンズに移籍し、1984年のシーズンを最後に引退。1990年から3年間、ダイエーホークスの監督を務め、2002年からは星野監督に請われて古巣タイガースで、2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルスでコーチを務めている。現役時代の通算成績は1739試合1532安打474本塁打1135打点、打率は.260。

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