トップに
戻る
本間勝交遊録
[12.11月号掲載]
39人目 久万俊二郎
自ら動いてチーム再建に尽力 酸いも甘いも噛み分けた名物オーナー

  オーナーに就任するや、いきなり日本一に輝いた。そして、リーグ優勝を2度経験した。故・久万俊二郎元オーナー。残念ながらお亡くなりになられたが、二リーグ分立後、阪神で三度も優勝を体験したオーナーはいない。ちなみに、私もタイガースに携わって三度、いい思いをさせていただいたが、いいことばかりが続くわけがない。特に同オーナーの場合、球団の最高責任者として、長い、長〜い暗黒時代も味わった。六位、五位、六位、六位といった最悪の時期があった。非難をモロに浴びた。ファンからは見捨てられかけた。辛い低迷期をじっと我慢しながら、さすが上に立つ人。自らが、精力的に動いてチームを生き返らせた。
 投・打に柱がない。一シーズン、コンスタントに働ける力を身に付けた選手がいない。一定の時期はそれなりに活躍はしても、好調時は長続きしない。すぐに実力?が顔を覗かせる。不思議なもので、力のないチームの不甲斐なさというか、一人の選手が調子を崩すと連鎖反応を起こす。次から、次へと調子を落とし、気がついてみると、いつの間にか全選手が不振に陥っている。八連敗、十連敗は平気でする。もう、試合をする前から勝てる気がしない。ただ、消化するだけにしか見えないゲームさえあった。かといって、力を抜いているわけではない。全選手が、一生懸命勝つ気でやっているのに、結果は出ない。久万オーナー。こんな時期も耐えてきたのだ。
 何か得策はないか……。苦悩するばかりだった。対策に苦慮した結果、さすがトップに立つ人。決して人任せにはしない。その一環として手始めに試みたのが、元現役選手で当時、部長職に就いていた社員を、一人ずつ本社に呼び寄せ、本音でヒアリングを重ねた。本社の会長である。お忙しい身でありながら、時間を削いで野球に取り組んでいた。いい意見があれば吸い上げるための試みだが、一応、私にも声がかかった。『練習方法に問題はないか。練習方法が悪いから選手が育たないのではないか。今、タイガースのチーム力はどんなもんか』等々。事細かくお聞きになった。
 正直、野球などには全く関心の無い人かと思っていたが、とんでもなかった。何年も続いたヒアリング、いい加減な気持ちではできない。そんな姿を見て『この人、真剣にタイガースを強くしたいんだ』と見直した。補強に力を入れ出した。『ケチだ』と言われていたタイガースが百八十度転換した。FA権を取得した実力者に声をかけるようになった。ドラフト上位指名の選手には、大金を使うようになった。いい傾向にはなってきたが、チーム作りはそんな簡単なものではない。時間がかかった。上昇しないチームに業を煮やし、久万オーナーが先に打った手は、野村監督の招へいだった。自ら方針を決め、自ら進んで交渉役を買って出た。これだけでは終わらない。同監督が就任してからも、チーム作りに関して、何度も、何度も話し合っている。
 この姿勢はオーナーを退くまで崩すことはなかった。野村監督とのヒアリングでは、時にはかなり厳しい意見が飛び交い、何やら、良からぬ雰囲気になったこともあったと聞いた。これも建設的な話し合いになったからこその証拠。チームは徐々に力をつけてきたものの、大変な事態が起こった。同監督が家庭の事情で辞任する出来事が勃発したのだ。久万オーナーの動きは早かった。間髪入れず星野監督に白羽の矢を立てた。やはり、自ら名古屋で交渉に出向いた。両監督の入団交渉には私も広報担当として同行したが、野村監督がヤクルトを、星野監督が中日を。両者とも辞任したその年の交渉だっただけに、いい返事がもらえるのか心配した。意外だった。ご両人とも、終始、いい雰囲気で安心した記憶がある。
 金本獲得で打線に柱ができたのが、チーム力大幅アップの大きな要素。自前でも、今岡が成長した。赤星が一人前になった。投手では井川が押しも押されもせぬエースに。藤川が自他ともに認めるストッパーに。久万オーナーのチーム作りが功を奏した。納得して退社されたと思うが、オーナーで面倒だったのが安芸キャンプ視察時の送迎だった。飛行機に乗らない人。どんなことがあってもJRで高知入りする。私がキャンプの担当をしていた時も、多分にもれずJRで陣中見舞いを兼ねてやってきた。その度に後免か高知駅まで出迎えに行き、見送りに行った。キャンプ中、レンタルしている車での送迎だが、高知空港であればわりと行き易いのに、後免、ましてや高知駅までとなると、かなりの距離がある。
 九年間、無事故で終わってホッとしたが、一度だけ、後免駅へ見送りに行った際、大失態を犯した。何を考えていたのだろう。ちょっとしたことで道を間違えていた。車は駅から遠ざかっている。気が付いた時の焦りは、いかばかりだったか。真冬だというのに額には冷や汗がにじみ出ていた。それでも、何とか電車には間に合って、無事帰阪された。あまり相好を崩す人ではなかったが、よく気遣いをしていただいた。やさしい一面を持った人。『世話になったなあ。ありがとう』必ず労いの言葉をかけてくれた人。そして、ヒアリングでは、言いにくいこともズバ、ズバ言える雰囲気をかもしだしてくれた人。本当、お世話になりました。
 さて次回。オーナー自らが大きな期待を寄せて迎え入れた監督、野村克也氏にスポットを当ててみる。
列伝その39
●久万俊二郎
1921(大正10)年、高知県出身。1946年に阪神電気鉄道株式会社に入社、1982年同社取締役社長。1984年から阪神タイガースのオーナーに就任した。翌1985年に21年ぶりのリーグ優勝、日本一を経験。その後は長くチーム成績が低迷したが、1999年に野村克也氏、2002年には星野仙一氏を監督として招へいし、チーム再建に向けてその手腕を発揮した。2003年のリーグ優勝を見届け、2004年にオーナーを退任。2011年9月9日、老衰のため逝去

月刊タイガース今月号

月刊タイガース2月号

2月1日発売 
定価410円(税込)

月刊タイガース携帯サイト

ケータイでバーコードを読み取ろう!/月刊タイガース携帯サイト