トップに
戻る
本間勝交遊録
[13.2月号掲載]
41人目 新庄剛志
予測不能な天性のスター

 現在、バリ島で〝モトクロス〟にはまっているという。新庄剛志氏―。相変わらず奇想天外な発想の持ち主である。プロ野球界の常識で考えてみるなら、普通であれば、評論家として、どこかの放送局、新聞社と契約をかわし、それを起点にでき得る範囲でタレント活動をする人が多い世界。同氏くらいの人気者で、大リーグ経験のある選手であれば、当然、野球界に携わる仕事の誘いはあったはずだが、ユニホームを脱ぐなり、完全に住み慣れた世界から去っていった。新庄の、新庄らしい行動だが、改めて奇想天外な男であることを再認識した。
 常識にとらわれず、自由奔放に行動する人、人呼んで〝宇宙人〟 本業の野球でも、あの華麗な守備は期待以上のプレーを見せてくれたが、バッティング面では、まさに、ビックリ箱。不甲斐無い一面は数々あったものの、思わぬ場面で大仕事をするタイプ。ゆえに、ファンの注目度は高く、人気は抜群だった。動体視力は高い。巨人戦では敬遠するボール球をヒットにしたり、契約更改の席で突然『野球センスがないのでやめます』と首脳陣に反発して引退宣言するひと幕もあった。また、2000年オフ、FA宣言をして大リーグのメッツに移籍したときも、阪神との契約交渉にきて席につくなり『メッツに行くことにしました。もう、決めましたから』と一方的に切り出したことも。
 私も、その場に何故か同席していたが、呆気にとられるしかなかった。まるで決定事項であるかのように、きっぱり言い切った。我々、口を挟む余地なんかない。この年、FAの資格を取得していた同氏。新聞紙上等で横浜(現DeNA)や、ヤクルトが獲得に乗り出していたことはわかっていたが、まさかメジャーに行くとは思ってもいなかった。私の個人的な意見になるが、確かに、守備範囲とか肩だけならメジャー選手以上の力を持っていたものの、バッティング等総合力を考えると『メジャーはない』と読んでいた。わからないものだ。いざ、ふたをあけてみると〝大リーガー・新庄〟が目の前にいた。
 ビックリした。かえす言葉がなかった。一応引き留めようと『タイガースに残る気持ちはないのかなあ。もし、本当にアメリカに行くなら、彼女と結婚しないとあかんやろ』。けじめをつける意味もあって、意見してみると『大丈夫です。彼女と結婚することにしましたから』もう、アメリカ行きの準備は万端だった。後になってわかったことだが、この時点、すでにメッツとの交渉はまとまっていたともいう。まさに奇想天外。独自の活動をする人そのままの行動。常識にとらわれない性格。人呼んで宇宙人。そういえば新庄氏はデビューした当時から球団の渉外担当者に『大リーグでプレーしたい』意向を伝えていた。まだ、まだ日本人大リーガーはわずかな時代。やはり、並みの考えでは当てはまらない選手だ。
 ただし、センター・新庄。こと守りに関しては肩、守備範囲とも、私が見てきたプロ野球界ではトップクラス。中前ヒットで二塁走者を何度ホームで刺したことか。また、三塁コーチャーが走者を三塁で止めたケースは数え切れない。そして感心したのは、定位置の平凡なレフトフライ、ライトフライでも同選手は、左、右両翼選手の後方にまでまわり、必ずバックアップしていた。これだけ動ける選手はまず見たことがない。ディフェンスのスペシャリストだったことは間違いない。
 阪神からメジャーに挑戦。最後は北海道日本ハムで現役を引退した。その引き際がこれまた新庄らしい。シーズンが開幕した直後に球界を去ることを宣言し、公式戦終了後にユニホームを脱いだ。その他にも仮面をかぶってグラウンドに出たり、野球選手としては異端児だったかもしれないが、あの足の長い、スラッとしたスタイルとルックスからくる人気は凄かった。当時のタイガースの寮は球場のすぐ近くにあったが、その寮にたどりつくまでに大勢のファンに取り囲まれてしまう。動きが取れなくなる。夢中になっているファンが事故でもおこしたら大変。危険防止を兼ねて寮長が車で送迎していたほど。何かにつけて人騒がせな選手だった。
 究極の奇想天外な発想は、当時の野村監督とのツーショットの中にあった。バッティング練習を終えた新庄氏が、同監督の元へツカツカと歩み寄った。仕草を見ていると、バッティング談義からはじまったものと思われるが、二人が話し込んだまま別れる気配がない。三十分たった。まだ続いている。何か監督がクレームでもつけているのかと思って、練習後に聞いてみると『野球選手で、こんなこと考えているヤツはおらんぞ。カッコいいジーンズをはきたいので、足を鍛えて太くするのはイヤだと言うんや。おもろいヤッちゃなあ』あきれた様子も、顔は笑っていた。それ以降、何度も同じシーンを見た。『何を聞いても答えが返ってくる。勉強になりますね』とお気に入りの新庄氏は天然キャラ。一方、監督はというと思慮深い人。この二人が何故かウマが合ったのが不思議だった。
 さて次回、この辺で一度脇道にそれてみようかな。それではあの日を思い出してみましょう。王貞治氏に浴びた一発を・・・。
列伝その41
●新庄剛志
1972年1月28日生まれ。福岡県福岡市出身。西日本短大附属高校から1989年のドラフト5位で阪神タイガースに入団。2年目の1991年に迎えたプロ初打席の巨人戦でタイムリーを記録し、翌年途中から一軍に定着。そのルックスに加え、華麗な守備や個性的な言動でファンを魅了し、人気が急騰した。その様子は同時に注目を浴びた亀山努選手とともに「亀新フィーバー」と称された。その後も低迷するチームの中で新庄選手のスター性はタイガースの人気を支え、野村監督下の2000年にはほぼシーズンを通して四番を務めるなど勝負強さも発揮した。この年のオフにFA宣言してメジャーリーグに移籍。ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツで活躍し、2004年からは日本球界に復帰して北海道日本ハムでプレー。引退した2006年には自身初めてとなる日本シリーズにも出場した。日本での主な受賞歴はベストナイン3回、ゴールデングラブ賞10回、オールスターゲーム出場7回(うちMVP2回)。日米通算実働16年間で225本塁打、打率は.252。

月刊タイガース今月号

月刊タイガース2月号

2月1日発売 
定価410円(税込)

月刊タイガース携帯サイト

ケータイでバーコードを読み取ろう!/月刊タイガース携帯サイト