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本間勝交遊録
[13.5月号掲載]
44人目 和田博実
「野武士」の理論派の意外な一面

 和田博実さん(故人)―。鉄腕・稲尾さん(故人)とバッテリーを組み、かつての西鉄ライオンズ(現西武)の黄金時代を支えた人。両選手とも大分出身の同県人。和田さんが臼杵高出なら、稲尾さんは別府緑丘高。生まれは共に1937年。学年では早生まれの和田さんが一年先輩だが、互いにニックネームで呼び合う間柄。私が西鉄に移籍した当時は、まだ二十歳代でバリバリの正捕手。身長174センチ、体重71キロ。どちらかといえば小柄なキャッチャーだったが、握力と手首の強さは群を抜いていた。
 稲尾さんの愛称『サイちゃん』は全国区。あの動物の犀からついたもの。目が細い。ガッシリした体格。よく眠るからで、この命名は我々もよく知っていたので、全く違和感なく耳に入ってきた。どうしてもイメージが湧いてこないのが和田さんの『エーちゃん』だった。何故…。しばらくは疑問符がついたまま悩んでいたが、チームに慣れてきた頃、ある先輩に聞いてみた。何と単純なことか。瞬間『プッ』と吹き出し、大笑いしてしまった。『あの男なあ。ようオナラをするんや。そこからついたニックネームが衛生車やった。それがいつの間にか頭だけとって、呼び易いエーちゃんになったんや』どうですか。この発想。こういった類いのことは、あまり深く考えないことですね。
 以後、意識して和田さんを観察した。なるほど、確かによく出る。その都度発する言葉が『エイッ、クソー。エイッ、クソー』だ。気合を入れるところではないと思うが、掛け声と共に一発、二発。普段のエーちゃんとは、全く似つかぬあだ名が判明したが、この人、時として、見せかけで意識した大ざっぱな振舞いをする。オナラはその一環かもしれないが、本来は、根っからの真面目人間であり、うってつけの捕手タイプ。やること自体はきっちりしている。相手バッターを見抜く観察力、洞察力はキャッチャーならではの眼力を持っていた。そして、その時の対戦相手の情報収集など、捕手として大事な試合前の準備も怠らない人だった。
 実働18年。1565試合に出場。4295打数、1104安打、打率・257はキャッチャーとしては申し分ない成績。なんと、1968年にはサイクル安打まで記録しているから大したもの。その話には『まぐれ、まぐれ』といつもテレまくっていたが、私も何試合かはバッテリーを組ませていただいた。すべて和田さん任せのマウンドだったが、そう、西鉄といえば野武士軍団といわれるほどの個性派揃い。その投手陣の持ち味を引き出したリードには定評があった。『そうやなあ、サイちゃんは確かにいいピッチャーだったけど、天才ではなかったね。努力して、努力して天才に近づこうとしていた投手やね』稲尾さんへの思い入れは強かったのだろう。こんな話をしてくれたこともあった。
 その稲尾さんの発掘には、和田さんの存在がひと役買っていたという。当時の球団関係者に聞いた話だが、ある日、臼杵高・和田のスカウト活動で観戦に行った試合の相手が緑丘高だった。マウンドにはエース稲尾。凄い球を投げている。見事、堂々たる完封勝利がスカウトの目に留まった。鉄腕・稲尾はここから誕生したわけで、和田さん、こんなところでもチームに貢献していた。野球に対する知識は豊富だった。セオリーをよく知る理論派だった。西武のコーチ時代、アメリカはサンノゼで行われた教育リーグに参戦した時など、本場の野球に関する本を買い集めて勉強したという。
 知識欲はどこまでも旺盛だった。こんなところにも真面目人間の顔がのぞいている。二軍監督など長きにわたってコーチ業に携わっていたことが和田さんの人間性を証明しているが、グラウンドを離れたら良き兄貴分。現役時代、福岡で自宅に招待され、鉄板焼きを御馳走になったこともある。おいしい肉を、お腹いっぱい食べさせていただいた。そう、肉といえばこんなこともあった。選手時代の大阪遠征。私が住んでいた近くの甲子園市場に、物凄くやわらかくておいしいフィレ肉をわけてくれるお肉屋さんがあった。和田さん、一度食べてからというもの、そのフィレ肉にはまってしまった。大阪から福岡に直接帰る場合は、いつも『マサルちゃん。今回もたのむぜえ』と必ずフィレ肉を購入して帰福していた。その肉の手渡し役は私だったが、いつもお肉屋さんまで足を運んでくれていたのは、奥方でした。
 1995年には、コーチとして阪神のユニホームを着た。後に、フロントにも在籍した。二人で西鉄時代の話をよくしたものだが、一度和田さんと私でタッグを組んで、他社の人とゴルフをしたことがあり、こっぴどくやられて慰め合ったことも。最後に声を聞いたのは札幌遠征で入場券を依頼された時。当時はアマチュアを指導されていた頃で、まだまだお元気だった。突然の他界にはご冥福を祈るばかりだったが、次回はさらに若くして亡くなられた人。セ、パ両リーグで初の首位打者に輝いた故・江藤慎一氏にスポットを当ててみる。
列伝その44
●和田博実
1937年3月26日生まれ。大分県出身。県立臼杵高校から1955年に西鉄ライオンズ入団。鉄腕・稲尾投手とバッテリーを組み、西鉄ライオンズの黄金時代を築く。マスクを被って完全試合二度に、ノーヒットノーランも二度経験するなど、捕手としての素養の高さはもちろんのこと、1968年にはサイクルヒットを達成したり、巨人との日本シリーズではランニングホームランを記録、オールスターゲームにも五回出場するなど、俊足スラッガーとして名を馳せた。1972年に現役引退後は太平洋・クラウン・西武でコーチ、二軍監督を歴任。阪神では1993年にフロント入りし、1995年にヘッドコーチ。1997・1998年はファーム監督として縦縞のユニホームに袖を通した。2009年にすい臓がんにより逝去。

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