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本間勝交遊録
[11.12月号掲載]
29人目 山本哲也
「名捕手」の条件を全て兼ね備えた良き女房役

  初球だった。ストレートのサインが出ている。キャッチャーミットは真ん中に構えている。レベルの高いプロ野球界。『こんなことってあるのかなあ』ちょっとコースが甘かっただけで痛打を浴びる実力の世界。何故……。疑った。半信半疑だったが、マウンド上でつい、首を縦に振ってうなずいていた。
 私をリードしてくれていたのは五歳年上の先輩。小山さん、村山さん(故人)というチームの両輪の良き女房役として活躍していた山本哲也さん。存在感は抜群。デビュー早々の私がサインを嫌って、首を横に振れるような人ではない。この際、山本さんを信じて、思い切って投げてみるしかない。雑念を捨て、目をつぶってド真ん中へ。正直、開き直っての投球だったが、相手バッターはといえば、ド真ん中のストレートでありながら、全く反応が無いままだ。ピクリともしない。要するに山本さん、相手に打ち気がないのを見抜いて出したサインだったのだ。当然、その打席でのバッターの仕草、表情をきっちり観察しての読みである。これぞプロ。この一球は私に、。この世界の厳しさを教えてくれた。
 ただ、打って、走って、投げるだけではこの世界で通用しない。それを、現実に、身を持って叩き込んでくれた人。おそらく、あの小山さん、村山さんという実力者であっても、山本さんの鋭い洞察力に助けられたことがあったはずだ。温厚な人だった。滅茶苦茶のお人好し。170センチ、64キロの小柄な体。性格や体型からは、とてもキャッチャーのイメージは沸かない人だったが、抜群の信頼感。ピッチャーを包み込む包容力のあった人で、決して表面に出ようとしないところは、捕手の条件を全て持ち合わせていた。その存在はまさに“名捕手”だったといえる。
 捕手として――。ピッチャーを思いやる心を持っていた。常に陰の力となり、投手を前面に出して脇役に徹していた。チームや、ピッチャーから信頼されていた。目配り、気配りのできる人。謙虚の中にもガッツがあった。どんな状況にも冷静沈着だった。洞察力や記憶力から弾き出す判断力は、冒頭に明記した通り。これら、捕手に与えられた条件をごく自然にこなしていた。
 目を疑わんばかりの、物凄いプレーを見せてくれた。名捕手だったのは言うまでもないが、いまだ私の記憶の中に鮮明に残っているプレーがある。一年に一度お目にかかれるかどうかのプレーで、バックネットぎりぎりに上がったファウルフライだ。打球を追いかけるのは各捕手だれも同じだが、バックネット直前まできてからが山本さんの真骨頂。ポーンと跳び上がってネットに足をかけるや、その勢いで一歩、二歩とよじ登ると、見事にボールをミットにおさめていた。打球が落下してくる場所を見極め、まるで軽業師のような身のこなしは人間業とは思えない。これを見て付いたニックネームが『モンキー山本』まさに、ピッタリ。
 バックネットが、グラウンドのわずか上から金網になっている甲子園球場でしか見られないプレー。信じられないような、究極のファインプレーだが、ファウルフライは年間数え切れないほど上がるものの、チャンスは滅多に訪れない。『すべてのタイミングが合わないと無理やなあ』と話してくれたことがあったが、その少ないチャンスを見事にキャッチしてしまうのだから大したもの。確かに、他の捕手が同じことを試みて成功した例は拝見したことがない。
 実働十二年。現役を引退してからは、コーチ、スカウト、スコアラー、記録担当など数々のポストをこなした人。どんな仕事にも嫌な顔ひとつ見せず、黙々と頑張っていた人。私が阪神タイガースフロントマンとして復帰した時には、よく温かい声をかけていただいた。九州は名門・熊本工から入団。タイガース一筋のプロ野球界生活。今年で七十七歳。現在は郷里で人生を謳歌されているが、いまだお元気。時にはプロ野球界の発展に協力。少年野球の指導にあたっている。やさしい“おじいちゃんコーチ”その姿が想像できる。
 野球好き人間。いつまでも野球から離れがたいようだが、現役時代、大好きだったのがマージャン。チームメートとよく雀卓を囲んでいる姿を見かけたが、どうしても人のいい性格が出る。『またやられたわあ』と悔しそうにボヤいてはいるものの、表情はいつもの笑顔。いかにも山本さんらしいが、お人好しといえばこの人も双璧。クマさんこと、熊工の先輩、後藤次男さん。ちょっと順番を間違えてしまいましたがあしからず……。次回はクマさんで――。
列伝その29
●山本哲也
1934年9月26日生まれ。熊本県出身。右投げ右打ち。1953年、熊本工業高校から大阪タイガース(当時)に入団。1957年からスタメン捕手として出場機会が増え、渡辺省三、小山正明、村山実らの名投手をリードした。1958年、59年にはオールスターゲームに出場、1959年6月25日、後楽園球場で行われた初の天覧試合でもマスクをかぶった。1964年、現役を引退。引退後はコーチ(2回)や、スカウト、スコアラーなどフロントマンとしても活躍した。

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