小山正明氏 特別インタビュー


 
―TG戦に関して言うと、有名なのは天覧試合ですが、先発されていたのが小山さん。天覧試合というものの雰囲気はなかなか想像もつかないのですが、どういうものでしたか?

今日に至るまで、天覧試合というのはあの一試合だけやからね。あの時、監督は確かカイザー田中。天覧試合があるということになった時点で、「小山君、君、天覧試合投げるよ」と。当時は定まったローテーションというのがなくて、僕は完投した明くる日にリリーフで出たり、リリーフが3日ほど続いて、その翌日に先発したり、そんな状況やった。
今の子たちは、当時の日本において天皇陛下がどういう存在であったかというのは全くわからないと思うね。僕が太平洋戦争の終戦を迎えたのが、小学校5年生の時。とにかく、道歩いていても君が代が聞こえたら直立不動。そういう状況下で、タイガースに入団した当時は、軍服着て兵隊生活を送ったという人が、監督の松木(謙治郎)さんでしょ、藤村(富美男)さんでしょ、渡辺博之さん、徳網(茂)さん、藤村弟(隆男)さん、真田(重男)さん。兵役の経験者が先輩に何人もいたわけ。だから、厳しいわね。そういう人たちと、今の若い人たちとは天皇陛下が来られるということについてはちょっと感覚的に違うからね。天皇陛下と皇后陛下が、バックネット裏の、上の中央付近の貴賓席に着席される前、僕らは整列して礼をしてね。その時、恩賜の煙草をいただいて、僕は吸わんから、親父に持って帰って。そしたら親父が煙草好きやったけど、しばらく吸わへんもん。やっぱり、普段のジャイアンツ戦というよりも、天覧試合ということで、緊張の度合いがね、普段と違ったことを憶えてるわ。この昭和34年のシーズンは、僕が3年連続20勝した真ん中の年だったと思う。その日は、ジャイアンツは藤田のガンちゃん(元司)が先発で、ガンちゃんも僕も調子が良くないねん。僕は、坂崎(一彦)、ワンちゃん(王貞治)、長嶋(茂雄)にもホームラン打たれたのと違うかな。3本のうちの2本ぐらいはギリギリで。後楽園は狭いからなぁ、お互い同じ条件でやってるんだからしょうがないんだけど。

―今度11月にOB戦が行われますが、やはり楽しみにされていますか?

そうやね。昔の古い連中がね。言うものの、僕もこの歳になってくると、タイガースにおいては日頃顔を合わせるのは、たまに後藤のクマ(次男)さん、よっさん(吉田義男)、それから当時一緒にやった三宅(秀史)、あとは誰が来るんだろうなぁ。僕が一緒に汗を流して戦った人たちが、だいぶ亡くなってしまったからね。悪人世に憚るって、僕はまだ憚ってるんですよ(笑)。まあでも枯れ木も山のにぎわいでね(笑)。まぁ、今年も、バッター一人ぐらい放らされるんと違うかな。まあ頑張りますよ。


PROFILE 
小山正明(こやま まさあき)

1934年7月28日生まれ。兵庫県出身。
高砂高-大阪・阪神(1953-1963年)-東京・ロッテ(1964-1972年)-大洋(1973年)。
コーチ歴・大洋(1973年)、阪神(1974-1975、1982-1983、1998年)、西武(1990-1991年)、ダイエー(1993-1994年)。

通算成績
856試合(歴代4位)4899回登板(同3位)、290完投(同5位)、74完封(同3位)、73無四球(同2位)、320勝(同3位)232敗(同6位)、3159奪三振(同3位)、通算防御率2.45(同14位)

主な受賞歴
最高勝率(1962年・27勝11敗.711)
沢村賞(1962年)
最多勝利(1964年・30勝)
野球殿堂入り(2001年)


 

OB小山正明氏特別インタビューの完全版は、
月刊タイガース11月号(11月1日発売)のP42~P44をご覧下さい!

 

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