本間勝交遊録
21人目 並木輝男
豪華な交遊、スマートな物腰 教わった『焼き肉』の味に大感激 [11.1月号掲載]
 東京生まれの、東京育ち。紛れもない〝都会っ子〟。並木輝男(故人)さん。出身校は名門・日大三高。エースで四番。大黒柱として甲子園球場での全国大会で大活躍。年齢はひとつ違い。その雄姿は高校時代から、この目でしっかりと見届けている。名声はすでに全国区。当然マスコミの注目度は高い。取材慣れしている。大舞台を経験しているからか、物怖じしたところはない。容貌はどちらかというとオッサン顔。ちょっぴりおませな若者に見えた。一年目の中盤からレギュラーの座をつかんだ実力者。私の目には、描いていたイメージより大きく映った。『オレも早く一軍で』―初対面で憧れの人となった。
 お洒落だった。垢抜けしている。やや、老けては見えるが、若くして定位置を確保した選手だ。グランドでの動向はバイタリティーに富んでいる。外出するとき、合宿所で目にする白っぽいジャケットが恰好いい。都会っ子ならではの雰囲気がある。人付き合いは幅広い。芸能界にも顔が利いた。レコード大賞歌手の水原弘(故人)さん、クラリネット奏者の鈴木章治さん(故人)らと、同席して杯をかわせたのも並木さんの顔。同氏が結婚式を挙げた時の媒酌人は、勝新太郎(故人)さん、中村玉緒さん夫婦だったが、このお二人の結婚式に、『枯れ木も山の賑わい』で出席させていただいたのも並木さんからのお誘いがあったから。あの豪華な披露宴には目を丸くした記憶がある。
 外食にもよく連れ出してくれた。『マサル!』名字ではなく、名前を呼ばれたときはまず間違いなく外出する日。『今日は、ちょっと付き合えよ』おいしいものが食べられる。二つ返事でOK。喜んで付いて行く。行き先は大阪か神戸。田舎育ちの私、子供の頃から我が家には外食する習慣などなかった。高校時代は行きたくても先立つものがない。並木さんについて行けば、これまで口にしたことのないおいしい料理と遭遇する。何ぶん、〝食道楽〟の街。肉料理、魚料理、何を食べても抜群にうまい。おまけに食べ盛りの私。もう、食うわ、食べるわ。周りの人はさぞやびっくりしたことだろうが、お陰様で遠慮して『もっと食べんかい!』と怒られたことはあっても、『食べ過ぎや』の叱責を買った記憶はない。本当、ありがたかった。これ、並木さんのお陰。
 『世の中に、こんなにおいしいものがあったのか・・・』とびっくりさせられたのが〝焼き肉〟。私、いまだに『いままで、一番おいしかった食べ物は・・・』と聞かされたら、間髪を入れず焼き肉と答える。最近では、どこにでもあるが、当時はまだ、それほど大衆化されていなかった。振り返ってみると、もう五十数年、半世紀が過ぎ去っている。時が流れているのがよくわかるが、並木先輩のお供をして、大阪・南は道頓堀川沿いの店に行った。めちゃくちゃおいしかった。食べても、食べても満腹感がない。ロース、カルビ、ミノ等々、果たして何人分食べたことか。大満足、大感激したことを覚えている。また、ある時は三百グラム、四百グラムの分厚いステーキをペロリ。当時の私、今では考えられないほどスマートだった。身長は182㌢あっても、体重は70㌔前後。まさに『痩せの大食い』先輩も食べさせ甲斐がなかったかもしれない。
 キャバレー等にも付いて行った。しばらくはボックスで、お酒を飲みながらホステスと話をしているが、ころを見計らってフロアーへ。ダンスタイムである。いろんなジャンルのダンスをこなしていくが、テンポの速いジルバのステップを踏む姿は恰好いい。私も同じように踊ろうとするが、何ぶん不器用な男。なかなか思うようにいかない。ルンバとかマンボのステップは踏めるようになったが、ついに先輩の域に達することはなかった。半面、アルコールのほうは滅法強くなり、時には先輩共々門限を破ることがあった。
 並木さんの話になると、どうしても飲んで、食べての思い出が頭に浮かびがちだが、野球の方は、プロ入り後は打者一本に絞ってデビュー。新人の年から、98試合に出場。300打数、75安打。8ホーマーを放って、打点が32。12盗塁を決めて打率は・250と大活躍。実働12年。1960年、同62年には外野手部門でベストナインに選ばれている。背番号は真弓監督の現役時代と同じ〝7〟。チームの中心選手として外野の一角を担ってきた人だが、グラウンドでの並木さん。私の中では試合中の出来事より、バッティング練習でのイメージが強く残っている。少々のボール球でも手を出してくれた人。バッティング投手にとっては非常にありがたいタイプ。選手の中にはボール球が続くと、これ見よがしにイヤな顔をしたり、わざとバッターボックスを外す人がいた。こういうバッターは、腹立たしさと、使いたくない気遣いで余計ストライクがはいらなくなるが、少々ボール球でも打ってくれる人になると、調子に乗ってどんどんいい球が投げられる。そういう意味で並木さん、投げ易い人〝ナンバーワン〟のバッターだった。
 『現役時代は二度のリーグ優勝と天覧試合を経験することができたし、コーチになって日本一になった。タイガースではいい思い出がたくさんでできたね』
 ユニホームを脱いだ時の話。バックスクリーン三連発があった。打ちまくって日本一になった年のバッティングコーチ。打線のチーム。選手が調子を崩さないよう陰で支えてきた人。若くして他界されたのが残念だが、この年、もう一人の立役者がいた。ムードメーカー・川藤幸三氏の存在である。
列伝その21
並木輝男

1938年11月15日生まれ。東京都出身。左投げ左打ち。日大三高時代はエースで四番。1955年夏の甲子園、翌年の選抜に出場していずれもベスト8に進んだ。1957年に阪神入り、開幕戦では高卒新人ながら六番・右翼で先発出場するなど初年度から活躍した。1967年に東京オリオンズに移籍して翌年引退。しばらくは解説者として活動していたが、1985年から打撃コーチとして再びタイガースのユニホームに袖を通し、タイガース初の日本一に尽力した。現役通算1116試合出場3454打数882安打81本塁打380打点101盗塁。1988年、脳溢血により49歳の若さで逝去。

49人目 三好一彦~ 『虎の穴』の生みの親 [13.10月号掲載]
48人目 猿木忠男~ 虎の歴史とともに歩んだ名物・名トレーナー [13.9月号掲載]
47人目 木戸克彦~  虎一筋三十余年 今を支える苦難の日々 [13.8月号掲載]
46人目 中田良弘~  気さくな『男前』投手との意外な接点(?) [13.7月号掲載]
45人目 江藤愼一~  セ・パを渡り歩いたバットマン 〝闘志〟の裏の優しい笑顔 [13.6月号掲載]
44人目 和田博実~  「野武士」の理論派の意外な一面 [13.5月号掲載]
43人目 杉下茂~ 憧れの〝フォークの神様〟温かな気遣いの思い出 [13.4月号掲載]
42人目 王貞治~ 世界のホームラン王に打たれたあの一本 [13.3月号掲載]
41人目 新庄剛志~ 予測不能な天性のスター [13.2月号掲載]
40人目 野村克也 その二~ 虎に浸透させた「野村の考え」 イメージに反して意外な一面も [13.1月号掲載]
40人目 野村克也 その一~ 虎を変えた名将 気の毒な退団劇の顛末 [12.12月号掲載]
39人目 久万俊二郎 ~ 自ら動いてチーム再建に尽力 酸いも甘いも噛み分けた名物オーナー [12.11月号掲載]
38人目 根本陸夫 ~ チーム強化に辣腕を振るった「球界の業師」その素顔 [12.10月号掲載]
37人目 竹之内雅史 ~ 独特のフォームがトレードマーク 寂しさの残ったチーム離脱 [12.9月号掲載]
36人目 田淵幸一 そのニ ~ 強運と声援を味方にした 本物の四番打者 [12.8月号掲載]
36人目 田淵幸一 その一 ~ 天性の「人柄」が育んだホームランアーチスト [12.7月号掲載]
35人目 西村一孔 ~ 球団初の新人王の 太く短かった野球人生 [12.6月号掲載]
34人目 前岡勤也 ~ プロでは花開かずも 昔も今も変わらぬ好人物 [12.5月号掲載]
33人目 藤本勝巳 ~ 「努力」で輝いた野球人生 [12.4月号掲載]
32人目 田宮謙次郎 ~ あと一人で逃した 球界初の〝完全試合〟 [12.3月号掲載]
31人目 梶岡忠義 ~ 小さな体に不屈の魂 生涯〝野球大好き人間〟 [12.2月号掲載]
30人目 後藤次男 ~ マイペースでお人好し 愛すべき〝クマさん〟の思い出 [12.1月号掲載]
29人目 山本哲也 ~ 「名捕手」の条件を全て兼ね備えた良き女房役 [11.12月号掲載]
28人目 山本和行 ~ 〝1985〟歓喜のシーズン リリーフエースを襲った不慮の事故 [11.11月号掲載]
27人目 中西清起 ~ 八十五年、歓喜の胴上げ投手の不思議な思い出 [11.10月号掲載]
26人目 小林繁その2 ~ 「男の美学」 を貫いた生涯 [11.9月号掲載]
26人目 小林繁 ~ 「悲劇のヒーロー」 イメージと戦った人気者の素顔 [11.8月号掲載]
25人目 藤本定義 ~ 六球団で二十九年 名実共に「大監督」の素顔 [11.7月号掲載]
24人目 金田正泰 ~ 忘れられない プロ初勝利の温かい握手 [11.6月号掲載]
23人目 ランディ・バースその2 ~ 脚光の裏にあった〝努力〟と順応性 [11.5月号掲載]
23人目 ランディ・バース ~ チームに馴染む努力を惜しまなかった 史上最強の助っ人 [11.4月号掲載]
22人目 川藤幸三その2 ~ 勝負師としての職人、そしてムードメーカー 二人の川藤幸三 [11.3月号掲載]
22人目 川藤幸三 ~ 信望集める新OB会長は 球界稀代のムードメーカー [11.2月号掲載]
21人目 並木輝男 ~ 豪華な交遊、スマートな物腰 教わった『焼き肉』の味に大感激 [11.1月号掲載]
20人目 鎌田実 ~ 寡黙な職人気質も一転 一生涯を野球に [10.12月号掲載]
19人目 三宅秀史 ~ グラウンド内外のギャップに驚く 玄人好みの名三塁手 [10.11月号掲載]
18人目 吉田義男 ~ 俊足で華麗な守備のスタープレーヤーから初の『日本一』監督へ [10.10月号掲載]
17人目 岡崎義人 ~ 小柄で豪放 人柄が慕われた球団社長 [10.9月号掲載]
16人目 小津正次郎 ~ 世間のイメージに隠された 温かい人柄と人間味 [10.8月号掲載]
15人目 安藤統男その2 ~ マスコミサービスを重視した気遣いの人 [10.7月号掲載]
15人目 安藤統男 ~ 『ファン重視』の姿勢が生んだ監督辞任事件 [10.6月号掲載]
14人目 藤井栄治 ~ 我が道を行く『鉄仮面』 [10.5月号掲載]
13人目 遠井吾郎 ~ 多くの人から慕われた 仏のゴローちゃん [10.4月号掲載]
12人目 山内一弘 ~ 名古屋訛りの大阪弁を喋る オールスター男 [10.3月号掲載]
11人目 ジーン・バッキー ~ ニッポンに溶け込んだ ただ一人の外国人沢村賞投手 [10.2月号掲載]
10人目 渡辺省三 ~ 独自の調整法で磨いた抜群のコントロール [10.1月号掲載]
9人目 小山正明 ~「本格派」精密機械投手の愛すべき素顔 [09.12月号掲載]
8人目 尾崎将司 ~異業種への華麗なる転身 [09.11月号掲載]
7人目 稲尾和久 ~元祖・鉄腕投手からの仰天のひと言・・・ [09.10月号掲載]
6人目 中西太 ~逸話の枚挙にいとまがない怪童の意外なイメージ [09.9月号掲載]
5人目 真弓明信 ~その2~292本塁打、そのパワーの原点 [09.8月号掲載]
5人目 真弓明信 ~小さな体でコンスタントに力を出せたその訳は・・・ [09.7月号掲載]
4人目 岡田彰布 ~その2~したたかに、抜け目無く、それでいながら無頓着 [09.6月号掲載]
4人目 岡田彰布 ~気遣い上手で、したたかで、選手時代から発現していた類い稀なるリーダーシップ [09.5月号掲載]
3人目 掛布雅之 その2~努力に努力を重ねて [09.4月号掲載]
3人目 掛布雅之 4番としての矜持 [09.3月号掲載]
2人目 村山実 「炎のエース」との水遊び [09.2月号掲載]
1人目 藤村富美男 物干し竿で記録と記憶を残した栄光の背番号「10」 [09.1月号掲載]
4月号4月号
ケータイでバーコードを読み取ろう!
月刊タイガースケータイQRコード携帯電話版月刊タイガースサイトがご覧いただけます
URLをケイタイに送信