本間勝交遊録
37人目 竹之内雅史
独特のフォームがトレードマーク 寂しさの残ったチーム離脱[12.9月号掲載]
 毎年のようにバッティングフォームの構えがかわる。前の年にバットを立てて構えていたかと思えば、今度は寝かせている。もう落ち着いたかと思うと、次年度は極端なオープンスタンスに。そして、また年があけるとスタンスがクロスになっている。ビックリしたこともあった。何と何とよく見ると、ホームベースに覆いかぶさっているではないか。『よくもまあ、これだけころころかえられるものだ』と感心するとともに、ある意味、新しい年になった時、竹之内氏の構えを見るのを楽しみにしている自分がいた。球界の変わり者。異質な存在なのかと注目してみたが、とんでもない。野球に取り組む姿勢は実に真面目。そのギャップに驚くばかりだった。
 竹之内雅史氏。私と入れ替わりで西鉄ライオンズ(現埼玉西武)に入団した。残念ながら一緒に、同じユニホームを着てプレーしたことはないが、私、新聞記者に成り立てのホヤホヤ。球場での取材は何度となくしたものだ。1968年、鎌倉学園から日通浦和を経てのプロ入り。大きな夢を抱いたマジメ人間。フォームを変えるのは、好い加減な気持ちでやっていたわけではない。本人はいたって真面目。『自分に合った形を・・・』と試行錯誤しながら懸命に取り組んだ結果だった。実働十五年。果たして、新フォームに何度挑戦したことか・・・。タイガースで同じチームの一員になった時、雑談の中でその話題を出してみると『さあ・・・』だった。二人で顔を見合わせて大笑いしたものだ。
 同氏といえばたいへんな出来事を思い出す。1987年、もうコーチになっていた。日本一に輝いた二年後のチームだったが、打の軸掛布が前の年、死球を手首に受けて骨折。残念ながら故障がちの体になっていた。強靭な体の持ち主だった。ケガにも強かった男が、一度欠場して連続試合出場が途切れてしまってからは戦列を離れることが多くなった。チームは極度の不振にあえぎ、ダントツの最下位に低迷していた。いろいろな波紋が広がる真っ只中の札幌遠征。相手はヤクルト。初戦、2-9と相変わらずの完敗。掛布は登録を抹消されている。打つ手はことごとく裏目と出る。打開策は・・・。
 試合後、コーチの一員として吉田監督と直接話し合った。いかにも行動派の竹之内氏らしいところだが、自分が考えている策を出してはみたものの、同コーチの意見を聞き入れてもらうことはなかった。その話し合いの中身までは知らないが、翌日のゲーム。チームの中に竹之内コーチの姿はなかった。一人寂しく帰途についていた。帰阪すると甲子園球場に立ち寄った。自分のロッカーを片付けている。当時の私は、この年から広報担当をはずれ、営業部のファンサービスに異動していた。だから、チームには同行していないし、たまたま甲子園球場でバッタリ会った。顔は笑っているが、どこかぎこちない。
 『お世話になりました。帰ってきてしまいました。まだ先のことなど考える余裕はありません』ニガ笑いしながら、握手を求めて手を差し伸べてきた竹ノ内氏。一本気な男だ。退団を覚悟したうえで帰ってきたのだ。雑談している中で、私、前年まで担当していた広報の顔がつい覗いてしまった。『タケ(竹之内)なあ。これはあくまでも私個人の意見だと思って聞いてくれ。今後のことだけど、たぶん、マスコミからいろいろ詮索されると思う。あること、ないことを書かれるだろう。狙いを定めて取材にくるはずだから、あまり、問題には触れないようにしたほうがいいと思うよ』と話してみた。ここで同氏がペラペラしゃべることなら、チームは益々ガタガタになる。『わかっています。何にも喋りませんから。大丈夫です。心配しないでください』しっかりとした口調でこういってくれた。心得た男だった。こういう人材が出ていくのは、やはり寂しい。
 この問題が尾を引くことはなかった。チームの一員として竹之内氏に感謝した。なかなかできた人間だった。以降、学習塾をしていたこともあり、台湾でコーチもしていた。帰国してから、有馬温泉の某宿泊施設に勤務していた。一昨年だったと思う。あるアウトレットモールでばったり再会した。気の毒に、奥さんに先立たれたらしいが、相変わらず元気だった。多少歳はとって見えたが当然のこと。まだ、某大学で野球を教えているから元気そのもの。やっぱり野球大好き人間。野球から全く離れて暮らすことのできない男だ。
 さて次回だが、いろいろ考えた結果、竹之内氏がクラウン時代の監督、故・根本陸夫さんにスポットを当ててみる。私が新聞記者になった時、野球の見方を伝授してくれた人。取材でもかなりお世話になった。
列伝その37
竹之内 雅史

1945年3月15日、神奈川県出身。鎌倉学園高からノンプロ、日通浦和を経て、1967年のドラフト3位で西鉄ライオンズに入団した。西鉄(-太平洋-クラウン)時代は10年連続二桁本塁打を記録するなど主力打者として活躍していたが、1978年のオフに真弓選手、若菜選手とともに、田淵選手、古沢投手とのトレードで阪神へ。タイガースでも翌シーズン、25本の本塁打を記録した。1982年に引退。その後は阪神、ダイエーなどでコーチを歴任。台湾プロ野球でも監督を務めた。現在は羽衣国際大学公式野球部総監督。現役生活15年の通算成績は1371試合出場、4357打数1085安打216本塁打、打率.249。

49人目 三好一彦~ 『虎の穴』の生みの親 [13.10月号掲載]
48人目 猿木忠男~ 虎の歴史とともに歩んだ名物・名トレーナー [13.9月号掲載]
47人目 木戸克彦~  虎一筋三十余年 今を支える苦難の日々 [13.8月号掲載]
46人目 中田良弘~  気さくな『男前』投手との意外な接点(?) [13.7月号掲載]
45人目 江藤愼一~  セ・パを渡り歩いたバットマン 〝闘志〟の裏の優しい笑顔 [13.6月号掲載]
44人目 和田博実~  「野武士」の理論派の意外な一面 [13.5月号掲載]
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42人目 王貞治~ 世界のホームラン王に打たれたあの一本 [13.3月号掲載]
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40人目 野村克也 その二~ 虎に浸透させた「野村の考え」 イメージに反して意外な一面も [13.1月号掲載]
40人目 野村克也 その一~ 虎を変えた名将 気の毒な退団劇の顛末 [12.12月号掲載]
39人目 久万俊二郎 ~ 自ら動いてチーム再建に尽力 酸いも甘いも噛み分けた名物オーナー [12.11月号掲載]
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37人目 竹之内雅史 ~ 独特のフォームがトレードマーク 寂しさの残ったチーム離脱 [12.9月号掲載]
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19人目 三宅秀史 ~ グラウンド内外のギャップに驚く 玄人好みの名三塁手 [10.11月号掲載]
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4月号4月号
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